原宿駅前の熱狂 一世を風靡した「ホコ天」はなぜ消滅したのか
2020年5月24日
ライフ1970年代から90年代にかけて、原宿には流行に敏感な若者がけん引した歩行者天国文化がありました。現在では廃止となったその歴史を、フリーライターの猫柳蓮さんが解説します。
1970年代後半に、若者文化の拠点に
もともとホコ天は1970(昭和45)年、当時の東京都知事・美濃部亮吉と警視総監・秦野章の発案で、銀座や新宿、浅草、池袋で始まったものでした。
1970年代を通じて、全国に増加していったホコ天。その中で原宿が若者文化の拠点となったのは1970年代後半のことでした。

1977年6月に原宿の表参道側でホコ天が始まるとすぐに、路上で踊る「ローラー族」が出現します。
ローラー族とは、1950年代のファッションに身を包みロカビリーを踊る若者たちのこと。これに続いてブームになったのが、「ブティック竹の子」の服を着て踊る「竹の子族」です。
踊る若者やそれを見物する若者で、路上はすぐに満員になりました。まだまだ血の気の多い人ばかりであふれていた昭和ですから、けんかも日常茶飯事。そうしたトラブルや若者たちの要望もあって、ホコ天は1980年に代々木公園側へ広がります。
増え続けるトラブルに、ついに警察が……
こうして広大になった原宿のホコ天からは、芸能界にデビューするスターも現れます。
前述の竹の子族からは俳優の沖田浩之が、1984(昭和59)年に登場したパフォーマンスグループ「一世風靡(ふうび)セピア」からは、現在も芸能界で活躍する哀川翔や柳葉敏郎が生まれました。

このように常に若者文化の中心地であった原宿ですが、1990年代に入ると暗雲が立ちこめます。
あまりにも多い若者たちの数、そこで発生するトラブルの数は、警察が看過できないものになっていきました。人が集まるとトラブルが増えるのは必然です。それはいつでも折り込み済みのはずでした。
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