数々の素人伝説を生んだ『TVチャンピオン』に見る テレ東の「素材活用」能力とは

個性的でアイデアあふれる番組作りで知られるテレビ東京。その源泉は一体何なのでしょうか。社会学者で著述家の太田省一さんが解説します。


「アイデア・企画力勝負」が社風

 その後、日本経済新聞社(千代田区大手町)が経営参加して立て直しが図られることになります。

 1973(昭和48)年には一般総合局に。しかし、予算や機器、人員の不足はすぐには解消されません。そのため、他の在京民放テレビ局が地方局との全国的なネットワークを構築していくなか、東京12チャンネルはその点に関して足踏み状態が続きました。

 ようやくネットワークが本格的にかたちをとり始めたのは、1980年代に入ってから。「テレビ東京」に社名が変わったのも、ネットワークの確立を機にしてのことでした。

アイデアがひらめくイメージ(画像:写真AC)

 とはいえ、そうした苦しい状況のなかでも東京12チャンネルはなんとか人気番組を生み出そうとしてきました。お金がなければ、頼れるのはアイデア。アイデア・企画力勝負がおのずと東京12チャンネルの社風になりました。

 そしてそこでも頼りになるのは、やはり素人でした。

腕相撲番組の成功が呼び水に

 例えば、1975年にはふたつのユニークな番組が始まっています。

 ひとつは、4月にスタートした『勝抜き腕相撲』。毎回、われこそはという力自慢の素人が登場して腕相撲をする。ただそれだけの番組です。

 夜11時から5分間のいわゆるミニ番組でしたが、毎週月曜から金曜まで毎日放送される帯番組でもありました。テレビ東京の社史にも「当初、腕相撲が番組になるのかと懸念された」(『テレビ東京50年史』)と書かれていますが、ふたを開けてみるとその迫力が評判を呼び、勝ち抜き記録をつくる番組のスターも生まれました。

 この『勝抜き腕相撲』の成功が呼び水となり、10月から始まったのが『ヨーイドン!みんな走ろう』です。同じくミニ番組で、月曜から土曜の帯番組でした。

 こちらは一般の小学生が主役でした。参加の条件は特にありません。毎日、子どもたちが短距離走で記録を競い合うという、やはり単純明快なものでした。

布施鋼治『東京12チャンネル 運動部の情熱』(画像:集英社)

 ただし、子どもたちの思い出にしてもらうために、走るのは国立競技場のオリンピックと同じコース。記録も100分の1秒の単位まで細かく出しました(布施鋼治『東京12チャンネル 運動部の情熱』)。

ニッチな企画を帯番組で実践


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