数々の素人伝説を生んだ『TVチャンピオン』に見る テレ東の「素材活用」能力とは

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数々の素人伝説を生んだ『TVチャンピオン』に見る テレ東の「素材活用」能力とは

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太田省一

社会学者、著述家

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個性的でアイデアあふれる番組作りで知られるテレビ東京。その源泉は一体何なのでしょうか。社会学者で著述家の太田省一さんが解説します。

独自ブランドが確立された理由

 つい先日、テレビ東京で『TVチャンピオン』の名場面を集めた特番「『TVチャンピオン』大食いから手先が器用まで…もう一度見たいリクエストSP」が放送されました。

『TVチャンピオン』と言えば、大食い。当然この番組でも、「女王」と呼ばれた赤坂尊子(たかこ)さんを中心に激闘の数々を振り返っていました。

 赤坂さんのメガネがずれてラーメンのどんぶりのなかに落ちてしまう伝説の場面など、「ああ、あった」と記憶をよみがえらせた人もいるのではないでしょうか?

2020年5月10日に放送された「『TVチャンピオン』大食いから手先が器用まで…もう一度見たいリクエストSP」の一コマ。画面左が大食い女王の赤坂尊子さん(画像:テレビ東京)



『TVチャンピオン』が始まったのは、1992(平成4)年。この年、テレビ東京は年間平均視聴率で開局以来最高を記録するなど好調でした。

 それを支えた原動力のひとつが、『浅草橋ヤング洋品店』や『TVチャンピオン』といった素人をフィーチャーした番組だったのです。そんなテレビ東京の個性が世に認められ、「テレ東」ブランドが確立されるようになったのは、この頃からと言えるでしょう。

かつては4割の人員削減を経験

 ただ、それまでにはテレビ東京の長い苦闘の歴史がありました。

テレビ東京本社などが入居する六本木グランドタワー(画像:(C)Google)

 テレビ東京が「東京12チャンネル」として開局したのは1964(昭和39)年のこと。東京オリンピックが開催された年です。高度経済成長期でもあり、テレビが家庭の娯楽の中心になろうとしていました。

 ところが東京12チャンネルは一般総合局ではなく、科学教育専門局としてスタートしました。したがって娯楽番組の制作は著しく制限され、視聴率も低迷。

 その結果、開局して間もなく4割もの人員削減を余儀なくされたほどでした。当然番組制作予算も乏しく、経営は危機的状況に陥りました。

「アイデア・企画力勝負」が社風

 その後、日本経済新聞社(千代田区大手町)が経営参加して立て直しが図られることになります。

 1973(昭和48)年には一般総合局に。しかし、予算や機器、人員の不足はすぐには解消されません。そのため、他の在京民放テレビ局が地方局との全国的なネットワークを構築していくなか、東京12チャンネルはその点に関して足踏み状態が続きました。

 ようやくネットワークが本格的にかたちをとり始めたのは、1980年代に入ってから。「テレビ東京」に社名が変わったのも、ネットワークの確立を機にしてのことでした。

アイデアがひらめくイメージ(画像:写真AC)



 とはいえ、そうした苦しい状況のなかでも東京12チャンネルはなんとか人気番組を生み出そうとしてきました。お金がなければ、頼れるのはアイデア。アイデア・企画力勝負がおのずと東京12チャンネルの社風になりました。

 そしてそこでも頼りになるのは、やはり素人でした。

腕相撲番組の成功が呼び水に

 例えば、1975年にはふたつのユニークな番組が始まっています。

 ひとつは、4月にスタートした『勝抜き腕相撲』。毎回、われこそはという力自慢の素人が登場して腕相撲をする。ただそれだけの番組です。

 夜11時から5分間のいわゆるミニ番組でしたが、毎週月曜から金曜まで毎日放送される帯番組でもありました。テレビ東京の社史にも「当初、腕相撲が番組になるのかと懸念された」(『テレビ東京50年史』)と書かれていますが、ふたを開けてみるとその迫力が評判を呼び、勝ち抜き記録をつくる番組のスターも生まれました。

 この『勝抜き腕相撲』の成功が呼び水となり、10月から始まったのが『ヨーイドン!みんな走ろう』です。同じくミニ番組で、月曜から土曜の帯番組でした。

 こちらは一般の小学生が主役でした。参加の条件は特にありません。毎日、子どもたちが短距離走で記録を競い合うという、やはり単純明快なものでした。

布施鋼治『東京12チャンネル 運動部の情熱』(画像:集英社)

 ただし、子どもたちの思い出にしてもらうために、走るのは国立競技場のオリンピックと同じコース。記録も100分の1秒の単位まで細かく出しました(布施鋼治『東京12チャンネル 運動部の情熱』)。

ニッチな企画を帯番組で実践

 こうしたニッチな企画をミニ番組とはいいながら帯(毎日または毎週、同時刻に連続して放送すること)でやってしまうところは、まさにテレ東らしい大胆さの真骨頂でしょう。

 また一方で、これもテレ東らしいほのぼのとした感じもあります。『ヨーイドン!みんな走ろう』では、自分が走る姿を見たいという要望に応え、出場した子どもたちの家庭に電話して必ず放送日を伝えたと言います(布施鋼治『東京12チャンネル 運動部の情熱』)。

『TVチャンピオン』は、こうした歴史の積み重ねのうえに花開いた番組と言えます。

2020年5月10日に放送された「『TVチャンピオン』大食いから手先が器用まで…もう一度見たいリクエストSP」の一コマ(画像:テレビ東京)



 番組開始翌年の1993(平成5)年の「和菓子職人選手権」では、視聴率20.1%(ビデオリサーチ調べ。関東地区)を記録。テレビ東京の看板番組に成長していきました。

画面からあふれる「素人のすごさ」

 いまや素人がテレビに出るのはごく普通のことですが、テレビ東京の場合は「素人のすごさ」をストレートに見せることに徹しています。

 番組の構成や演出もとてもシンプル。しかし、それゆえに素人の秘める圧倒的なパワーが伝わってきます。「大食い選手権」はそのお手本です。

 赤坂さんのメガネがずり落ちる場面が伝説になったのも、彼女の勝負にかける人一倍の執念ゆえのこと。決して面白ハプニングなどではありません。

 そのときのラーメン大食い勝負で、すい星のごとく現れた新人・小林尊に最後逆転されたとき、チラッと横目に彼を見る赤坂さんの顔のアップには、これがただの大食いであることを忘れさせるほどの、なんとも言えない不思議な感動があります。

2020年5月10日に放送された「『TVチャンピオン』大食いから手先が器用まで…もう一度見たいリクエストSP」の一コマ(画像:テレビ東京)

 現在のコロナ禍のなかで、従来の制作手法からの変化を迫られているテレビ界。こうしたテレビ東京のアイデア勝負へのこだわり、そして「素材の味をそのまま生かす」制作スタイルは、いま改めて必要なものなのかもしれません。

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