かつては「しょっぱくて硬いもの」……日本人のチーズ観を覆した「チーズケーキ」の偉大なる歴史【連載】アタマで食べる東京フード(4)

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かつては「しょっぱくて硬いもの」……日本人のチーズ観を覆した「チーズケーキ」の偉大なる歴史【連載】アタマで食べる東京フード(4)

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畑中三応子

食文化研究家・料理編集者

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味ではなく「情報」として、モノではなく「物語」として、ハラではなくアタマで食べる物として――そう、まるでファッションのように次々と消費される流行の食べ物「ファッションフード」。その言葉の提唱者である食文化研究家の畑中三応子さんが、東京ファッションフードが持つ、懐かしい味の今を巡ります。

日本人のチーズ観を変えた衝撃

 さっきセブン―イレブン・ジャパンの冷蔵スイーツケースを見てみたら、全部で17種類のうち、7種類がチーズを使ったスイーツでした。大手メーカーのカップ入りデザートにもチーズ系は豊富で、ドリンクタイプまであり、あらためてチーズスイーツの圧倒的強さに感心させられます。

 チーズスイーツがこれほど愛されるようになった発端は、1970年代に起こったチーズケーキの大ブーム。戦後の洋菓子界で最初の爆発的ヒット作であり、いろいろな意味で革命的と呼びたくなる出来事でした。

東京・麹町にある「パティシエ・シマ」がミセス・アンディンケンから受け継ぐ伝統の「カッテージチーズケーキ」(画像:畑中三応子)



 チーズでお菓子を作ることに当時の人々がどれほど驚いたか、今では想像できないかもしれませんが、本当にみんな「びっくり仰天」しました。

 日本で乳製品が本格的に食べられるようになったのは、戦後から。学校給食でパン食が普及した影響で、ずっと乳製品の王座にあったのはバターでしたが、1966(昭和41)年に生産量と家庭内消費の両方でバターを抜き去りました。

 その頃に現れたのが、チーズケーキです。欧米でチーズといえばナチュラルチーズなのに対し、日本では加熱処理を行ったプロセスチーズが独自に発達。6Pチーズのように硬くて塩気のあるチーズしか知らなかった日本人にとって、しょっぱくなくてやわらかいチーズが存在すること自体が、青天のへきれきでした。

 そもそも、洋菓子の種類がまだ少なく、全国どの店でもショートケーキにモンブラン、シュークリームにエクレアばかりが幅を利かせて、ケーキに使うクリームは、ホイップクリームとカスタード、バタークリームくらいしかなかった時代。ケーキのマンネリを打ち破る新材料として、クリームチーズとカッテージチーズに、お菓子屋さんが一斉に飛びつきました。

男性ファンも獲得したその魅力

 はやったと思ったらすぐに消える通常のブームとは違って、チーズケーキブームは長期にわたって続いたのが特徴です。

 流行の発信源になったのは、前回の記事(2020年4月23日配信「超高級デザートだったクレープを庶民の「定番スイーツ」に変えた立役者は誰だ?」)のクレープと同様、『アンアン』と『ノンノ』を中心とした女性雑誌でした。

 創刊時のアンアン編集部は、チーズケーキのおいしい店が集まっていた港区六本木にありましたし、ノンノ編集部は編集長をはじめチーズケーキ好きがそろっていたそうです。

「パティシエ・シマ」のチーズを使った定番菓子はほかにも、フランスの生チーズを使った「クレーム・アンジュ」(左)、2種のクリームチーズをブレンドした「スペシャルチーズケーキ」(右)などがある(画像:畑中三応子)



 両誌とも、チーズケーキ特集には熱が入っていました。なにより強調されたのは、甘さをおさえた「大人味」であることです。

 スイーツ男子が登場するのははるか先で、男がケーキのことをあれこれいうのは恥とする風潮がありましたが、チーズケーキは男性ファンも獲得したのが画期的でした。男女関係なく、チーズケーキの味が分かるのが「おしゃれでかっこよい」こととされたのです。

 大手メーカーで一番早く、1969(昭和44)年に発売したのは「モロゾフ」(神戸市)です。当時の社長がベルリン訪問時、何気なく食べたケーゼクーヘン(ドイツ語でチーズケーキ)のあまりのおいしさに衝撃を受け、帰国後すぐにレシピを研究開発したそうです。

 しかし、ブームに火をつけたのは、1970年3月3日発売のアンアン創刊号でカメラマンの加納典明が「抜群にうまい」と絶賛した六本木「コーシャ」のチーズケーキだったと、私(畑中三応子。食文化研究家、料理編集者)はにらんでいます。

人から人へ受け継がれたレシピ

 店主であるユダヤ系アメリカ人、ミセス・アンディンケンが故郷のレシピで作るニューヨーク風チーズケーキは、ほかにはない独特のおいしさだったと、当時通った人々は口をそろえて懐かしがります。

 旧防衛庁の並びにあったコーシャは、当時も今も珍しいユダヤ料理のレストランで、自家製パストラミのホットサンドイッチも絶品だったそう。

 ミセス・アンディンケンは人気の名物“おばあちゃん”で、アーティストや編集者など業界人のたまり場だったことから、チーズケーキの評判が口コミで広がり、メディアで多く紹介されるようになりました。

 1970年代の雑誌で、チーズケーキほど頻繁に取り上げられたお菓子はほかにありません。最初の頃は買える店のガイドやカタログが中心でしたが、やがてレシピが紹介されるようになり、食べ歩きをする以上に家庭で手作りするのが流行し、ケーキやクッキーのホームメイドブームに発展しました。

 クリームチーズとカッテージチーズが普及したのも、そのおかげ。チーズケーキは、さまざまな現象を引き起こしたのです。

緊急事態宣言中は種類を絞っているが、近所の人がひっきりなしに買いに来る(画像:畑中三応子)



 日本で初めてチーズケーキを出したのは、六本木交差点近くにあった「ユーラシアン・デリカテッセン」で、1950年代だったといわれます。

 小さな店でしたが、知る人ぞ知るセレブ御用達の洋風総菜テイクアウト専門店で、早い時期からレアチーズケーキとベイクドチーズケーキの2種類を作っていました。ミセス・アンディンケンは店の2階に住んでいたので、もしかしたらレシピの交流があったのかもしれません。

 1970年代末、ミセス・アンディンケンが店をたたんで帰国するとき、同じ六本木で高級菓子店を営み、親しい友人付き合いをしていたアンドレ・ルコントさんへ、秘伝のレシピを贈りました。

伝統と物語が詰まった名品菓子

 日本に本格的フランス菓子をもたらした偉大なパティシエであり、フランスの伝統への強いこだわりを持っていたルコントさんですが、唯一の例外としてこのチーズケーキを大切に作り続けました。ふたりの友情の証しであると同時に、レシピ自体の完成度も高かったからでしょう。

 ルコントさんは亡くなりましたが、ミセス・アンディンケン直伝の味を今もしっかりと受け継いでいるのが、千代田区麹町の「パティシエ・シマ」です。

閑静なお屋敷街、東京・麹町にある「パティシエ・シマ」(画像:畑中三応子)



 グランシェフの島田進さんは、コーシャがあった頃に「ルコント」でチーフとして働いていました。現在、日本洋菓子協会連合会会長をつとめる洋菓子界の重鎮であり、パティシエ・シマはパリ「ピエール・エルメ」で経験を積んだ子息、徹さんと二人三脚で営む名店です。

 そのレシピはというと、一般的なチーズケーキはクリームチーズで作るのに対して、カッテージチーズを使っていることが、ミセス・アンディンケンから続く奥義です。ベイクドタイプでありながら、レアタイプにも匹敵するみずみずしさとなめらかさ、濃厚さと、酸味のきいたさっぱりした口あたりが共存し、たしかにどのチーズケーキとも違います。

 70年代、流行の最先端にいた人たちが夢中になった味だと思うと、おいしさもひとしお。チーズスイーツ好きなら1度は食べてみてほしい、物語が詰まった逸品です。

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