30代無職&ロン毛の孤独な男性が、他人の話を聞き続けたら「バーの店長」に大抜てきされた話

  • ライフ
30代無職&ロン毛の孤独な男性が、他人の話を聞き続けたら「バーの店長」に大抜てきされた話

\ この記事を書いた人 /

いしいまきのプロフィール画像

いしいまき

漫画家、イラストレーター

ライターページへ

約1400万人もの人が住んでいるのにほとんど交わることのない東京は、「孤独」を感じやすい街といえるでしょう。たったひとり暮らす大都会で、どうすれば自分の居場所を見つけられるのか。漫画家でイラストレーターのいしいまきさんが「脱ひとりぼっち」の方法を模索します。

俺は一体、何をやっているんだ?

 日々さまざまなつぶやきが流れていく、ツイッターのタイムライン。とあるバーの投稿を眺めながら、その男性は「……楽しそうでいいなあ、みんな」と、ひとりつぶやきました。

 彼がいつも投稿を追っているバーとは、誰でも1日店を借り切ってバーテンダーを務めることができる「イベントバー」。10席ちょっとの小さな店内で自分の好きなコンセプトの店を開ける場所です。

 以前からずっと興味があって、うらやましく眺めていた交流の様子。でも。

「俺がここで店長をやってイベントを開くことも、誰かのイベントに参加することも、きっとないんだろうな」――。しくしくと痛む胃。心はうつろ。

 なぜなら当時、男性はまだ会社に勤めていて、朝から晩まで働き詰めだったからです。遊ぶ暇も、心の余裕もありませんでした。

 30代前半。「特にやりたくもない仕事に人生の時間を費やして。俺は一体、何をやっているんだろう……」

仕事に追われて心も身体もすり減らしていた頃のフゥムさん(いしいまきさん制作)



 約1400万人が暮らす街・東京。そのなかで孤独を感じ、居場所を求める人も少なくありません。

 これは、私(いしいまき。漫画家、イラストレーター)の知人の話。ひとりぼっちで無職になり、必死に居場所を探し求めて、気がつけばバーの店長になっていた、ひとりの男性の物語です。

導かれるようにして訪れたバーで

 それからしばらくして、男性は会社を辞めました。次にどうするかは何も決めていないまま。ただただ疲れて、心も身体も限界を迎えていました。

 それ以来、自分の部屋でボーっと過ごすばかりの日が続きます。いつものように何をするでもなくスマホを眺めていたとき、ふいに、よく知る街の一角に新しくイベントバーが開店するという情報が目に留まりました。

 彼がずっと追いかけていた、あのバーの系列店のようです。

「ここに行ってみたい!」

 はじかれたように彼は思いました。仕事を辞めて自由な身になったことが、本来の行動力を思い出させたのかもしれません。「なんだか何かに導かれたみたいに、気づけばそのバーを訪ねていた」と、後になって男性はそのときのことを振り返ります。

 お店は西武有楽町線・新桜台駅と、西武池袋線・江古田駅の間。小さなビル(練馬区栄町)地下1階の、一番奥。扉を開けると、もじゃもじゃ頭のひょうひょうとした店長が彼を迎えてくれました。

「俺、会社を辞めちゃったんです。今、無職です」

 何杯めかのグラスが運ばれてきたとき、彼は思いきって身の上を切り出しました。すると店長は、

「それならバーテンダーをやりましょう! 『無職バー』いいじゃないですか」。

 彼は思わず「えっ」と聞き返していました。

「いきなり、何を言っているんだろう……」と戸惑いつつも、ずっと憧れのあった1日バーテンダーへのお誘いです。時間と体力は、今ならある。不思議な縁を信じるように、彼は店長の提案を引き受けてみることにしたのでした。

誰かにとっての居場所になれたら

 私がその男性と知り合ったのは、それから1年が過ぎた頃でしょうか。

 2019年5月、全く別のバーのたまたま居合わせた隣同士のテーブル席で、開放感ある額と笑顔が印象的な、よくしゃべる人だなあというのが第一印象でした。

 少し前まで、仕事を辞めて自宅でひとりふさぎ込んでいたというのとは、ずいぶんイメージが違います。

 彼の名は「フゥム」。バーでの活動をする際にはそう名乗っているそうです。

 もじゃもじゃ頭の店長に声を掛けられてから約1年、週に1回「ほぼ無職バー」という呼び名でバーを開け続けてきたといいます。

「お客さんが全然来ない日もありますけどね」とフゥムさん。バーテンダーとは別に週3日から5日ほどアルバイトもしているそうですが、ほかの人が開くバーやイベントにも積極的に顔を出しているので、生活は決して楽ではないとのことでした。

「でも、なんというんでしょう、楽しいんですよね。バーは自分の居場所でもあるし、同じように誰かの居場所にしてもらえたらと思いながら続けてます」

 そう話す彼の横顔は、確かにとても充実しているように見えました。

それは、地道に続けてきたあかし

 フゥムさんの開く「ほぼ無職バー」は独特です。

 しわしわのシャツで、なぜかパンの耳をかじりながら店を切り盛りする様子に最初は衝撃を受けました。世間が言う接客とかホスピタリティーとかとは、だいぶかけ離れたスタイルですが、にこにこ話を聞いてくれる笑顔やゆるい雰囲気に、妙な居心地のよさを覚えます。

 なんだか、自分がそこにいることをただ許されているような感じです。「居場所」ってつまりそういうものだったんだなあと、思い出させてくれるような居心地です。

しわしわのシャツを着て、パンの耳をかじりながらバーを切り盛りするフゥムさん(いしいまきさん制作)



 それからわたしも、ときどき「ほぼ無職バー」に通うようになりました。

 彼が活動を続けるうちにじわじわと「フゥムファン」が増えていって、常連さんたちが彼のファンイベントを開いたこともありました。「ほぼ無職バー1周年」や「フゥムさん生誕祭」には、たくさんの人がお祝いに駆け付けました。

 その様子をわたしもお店の隅の方で眺めながら、こつこつ継続していくことで、いろんな人が付いてきてくれるようになるのだと感じたものです。

 それからさらに1年が過ぎて、2020年5月。もじゃもじゃ店長が新たに別のお店を立ち上げることになり、江古田のバーの新店長にフゥムさんを抜てきしたのでした。

 彼が初めてその店を訪れてから、ちょうど2年が過ぎていました。新店長への後継指名は、彼が少しずつ信頼を積み重ねてきたあかしでもありました。

 くしくも今、新型コロナウイルスの感染拡大によってバーの営業は苦境に立たされています。それでもYouTubeやツイキャス(ツイッターと連動したライブ配信)で情報を発信したり、Zoom(テレビ電話)でお店の常連さんたちと交流をしたり、今できる工夫を重ねているようです。

 ファンから届くお米やお肉、野菜ジュースの差し入れ、電子マネーの「投げ銭(Paypay)」も、彼と彼のお店を支えています。「自分の居場所が欲しい」「誰かの居場所も作りたい」と願って続けてきた彼の活動はいつしか、単なるバーの店長とその客という関係を超えた、都会をひとりで生きる人たちの支え合いの仕組みを築き上げていました。

簡単なようでいて実は難しいこと

 こつこつ続けること。人に笑顔で接すること。人の提案を素直に受け入れてみること。

 どれも、簡単なようでいて実はなかなかできないものです。誰かからお誘いを受けたとき、「いやあ、私なんかには無理」とか「自分の理想と違うんだよなあ」といって、行動に移さない人も少なくないと思います。わたしにもそういう意固地な部分があるから、彼の行動にはいつもハッとさせられてばかりです。

 人生はたった1度きり。彼のように、人の提案に思い切って乗ってみることで、思わぬ方向へと転がり出すこともあるかもしれません。

関連記事