世田谷・東京農大裏手の「石塔とT字路」から漂う、古き江戸の情景

屋外でも誰にも会わないような、静かな場所で散歩する、通称「三疎」散歩。その魅力について、フリーライターで、古道研究家の荻窪圭さんが解説します。


突然丁字路に現れた庚申塔

 私は世田谷区在住なので世田谷の話になってしまいますが、例えばあるとき、東京農業大学(世田谷区桜丘)の裏手のなんてことない生活道路を歩いてたら、丁字路(ていじろ。T字路)に庚申(こうしん)塔が突然現れました。

赤い丸が庚申塔を見つけた丁字路。人通りの少ない生活道路に歴史の名残が(画像:荻窪圭)

 庚申塔は、江戸時代に流行した庚申講という庚申信仰の集まりが建てた塔です。安永8(1779)年と書いてあります。江戸時代からの古い道だったのです。

 よく見ると、東西南北それぞれの道しるべを兼ねてます。江戸時代の感覚が出てくる地名に現れてきて興味深い。

塔の東西南北が示すものとは

 北は四谷道と書いてあります。ここは世田谷区のだいたい真ん中あたりですから、この場所から四ッ谷は北というより東です。

 地図を開いて考えると、北に向かうと甲州街道があるではないですか。甲州街道にでればあとは四ッ谷まで一本道ですね。おそらくそれを指しているのでしょう。

よく見ると、北四谷道、東青山道と彫られている(画像:荻窪圭)

 東は青山道とあります。

 今の港区青山ですね。確かにこの道を東に向かうと途中で世田谷通りに合流し、三軒茶屋・渋谷を経由して青山に通じています。今の青山通りです。世田谷あたりでは青山に向かう道ということで「青山道」と呼ばれてました。

 西は府中道。

 今の府中市、大国魂神社(府中市宮町)の近くです。古代に武蔵国の国府(今でいう県庁所在地)が置かれていたため、府中と呼ばれるようになりました。江戸時代には甲州街道の府中宿が置かれ、交通の要衝となっており、昔から誰もが知っている著名な場所だったのです。

 で、方向は合ってます。おそらく甲州街道の滝坂あたりを経由していたのでしょう。

南に向かう道がないのに、なぜ?

 南は大山道・二子川道と書いてあります。

 用賀を経由して、今の二子玉川にあった渡しにつながっていました。大山は「大山阿夫利神社」(神奈川県伊勢原市)がある山。江戸時代に大山詣でが流行し、都内各地に「大山道」の伝承が残ってます。

世田谷区と大山阿夫利神社の位置関係(画像:(C)Google)

 でも今の道は丁字路。南に向かう道がありません。民家の間に入ってそこで終わりです。なぜでしょう?

 古地図に当たってみると、謎が解けました。

道をつぶした理由


【地図】東農大の場所には何があった? 昭和初期の地図を見る

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