お金の有無で人を判断しないーー超資本主義都市・東京で見つけた「0円ショップ」とは何か【連載】大原扁理のトーキョー知恵の和(6)

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お金の有無で人を判断しないーー超資本主義都市・東京で見つけた「0円ショップ」とは何か【連載】大原扁理のトーキョー知恵の和(6)

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大原扁理

隠居生活者・著述家

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何とは言えないのだけど何となく息苦しい。そんな気持ちでいる人へ、東京で週休5日・年収90万円という「隠居生活」を実践した大原扁理さんに生き方のヒントを尋ねる企画「トーキョー知恵の和」。今回のテーマは「東京と『価値』」です。

「東京は最高」のち、ときどき違和感

 ありとあらゆるモノが手に入る街・東京。しかしそこには「ただしお金さえあれば」という“注釈”が付いて回ります。お金を持っていない人は、この街にいられないのか? 東京で週休5日・年収90万円という「隠居生活」を実践した大原扁理(おおはら・へんり)さんが、都会の片隅で見つけた「お金のやりとりがない人間関係」とその意義について考えます。(構成:ULM編集部)

※ ※ ※

 東京に引っ越してきたばかりのころは、目に映るものすべてが新鮮でした。

 東京には何でもあるし、便利だし、お店のサービスは田舎とは比べるべくもなく、洗練されていて、もう至れり尽くせり。東京最高!

 しかし、しばらく住んでみると、はじめは最高すぎると思っていた東京がときどき見せる裏の顔に出くわすことがあります。

 都内のとある観光地にて。

 私はその日、荷物が多かった。どこかに座ってかばんの中からモノを取り出したいなぁ、と思っていたのですが、東京って、本当に、街なかに座れるところが少ないですよね。

 お土産屋さんの前にベンチがあるのを見つけ、一応、お店の人に声をかけました。

「すみません、ちょっとここに座らせてもらっていいですか?」

 すると、こう返ってきたのです。

「困ります」

「待ち合わせで席取りはできません」

 予期せぬ返事にどう答えればいいのかわからずに、まごまごしてその店を後にしたんでした。まぁ、今思えば何かを買えばよかったのかもしれないんですが、さすがに何も買う気になれず……。

 また別の日、青山の人気オーガニックレストランで、友人とランチの待ち合わせをしたときのこと。

 3人で待ち合わせだったのですが、私たちの順番が来たとき、ひとりが遅れていて、まだ店に到着していませんでした。

「あとでひとり来るので、3人です」

 すると、店員さんはこう言いました。

「今ここにいないお客さまの席は待ち合わせでもお取りできません。もし3人でお座りになりたければ、もう1名の方が到着された時に、隣の席がたまたますいた時だけ可能です」

 そんな天文学的な確率でランチにありつけたとしても、腹はふくれるが心がすさみそうだったのであきらめ、結局、インドカレー屋に移動。

 たぶん、あのオーガニックレストランは人気店なので、1席も1秒たりとも空けておきたくない、ということなんでしょうが、そんなピリピリした空気のなかで食べるオーガニック料理というのは、どんな味がするのでしょうか。っていうか、オーガニックの理念って何だろう。

大原さんの「隠居生活」の様子を描いたイラスト(大原扁理さん制作)



 あれ、東京ってこんな街だっけ?

 東京に暮らした年月だけ、そういう体験が増えていく。そして毎回、なんとな~くイヤな気持ちが残る。これは何なのだろうとしばらくモヤモヤしていました。

手っ取り早くお金を落とせないのなら

 あるとき、はたと気がつきました。

 東京が(私にとって)最高じゃなくなる瞬間の共通点って、私が「手っ取り早くお金を落とす都合のいい消費者」ではなくなったときかも。そういうことだとしたら、あのときのお店の態度にも合点がいきます。

 ちょっと乱暴にいえば、消費者として合理的に経済に参加しないなら、座っちゃ駄目、食べちゃ駄目、居ては駄目。それがキラキラ輝く「最高な東京」の裏の顔、そしてあのモヤモヤする違和感の正体なのでは……?

 お金を使えば楽しめる。しかも話が早い。それが資本主義のいいところ。東京にはそういう場所がたくさんあるのはわかった。でもそれだけじゃ、「お金のない人間に用はない社会」のできあがり。それってなんか、貧しい気がする。

お金を介さない人間関係の模索、実践

 私は国分寺市に引っ越してから、生活や働き方を見直し、週休5日・年収100万円以下の「隠居生活」を始めました。当然、経済的な制約が発生するので、外食や買い物はほとんどできません。が、お金がなくても楽しめる、お気に入りの場所がいくつかあります。

 まず、高尾にある「TOUMAI(トゥーマイ)」(八王子市館町)というカフェ。

 ここは、毎月第3火曜が「庭仕事の日」。草むしりやまき割りを手伝うと、誰でもまかないランチが食べられます。お金の代わりに労働力を提供することで外食気分が味わえるし、猫と戯れて枯渇していた「猫欲」を満たしたり、お客さんのいないときは店内に置いてあるピアノを弾かせてもらえたりすることもありました。

庭仕事を手伝えば、まかないランチを食べられるカフェTOUMAI(左)と、JR国立駅南口で開かれる、誰でも参加できる無料フリーマーケット。2020年5月現在は休止(画像:TOUMAI、くにたち0円ショップ)



「くにたち0円ショップ」も好きな場所です。

 これは、いらないものを持ち寄って、通行人にタダであげちゃうという、ただそれだけの活動です。ルールは、余ったものは自分で持ち帰るだけ。無料フリーマーケットのようなもの、といえばわかりやすいでしょうか。

明るくて楽しい、社会への反逆者たち

 著書『0円で生きる』(新潮社)で、お金以外のつながりを提案・実践するライター鶴見済さんに誘っていただき、着なくなった服や読み終わった本があるときに、私も何度か持っていきました。

 誰でも参加OKという気楽さもさることながら、今では地域内外の人が集まって交流できる貴重な場になっていて、お礼にビールとかを差し入れしてくれる人もいる。新聞などでも取り上げられて、「0円ショップ」は全国各地に広がっています(毎月第2日曜に、JR国立駅南口のロータリー付近で開催)。

 このふたつの共通点は、お金のやりとりがないこと。すると、人間をお金で判断することもない。権力みたいなめんどくさいものも発生しなくて、誰が偉いとかいうしがらみも皆無。人間関係の風通しが非常にいい。そんなわけで、東京での「隠居生活」時代、引きこもりがちな私の大切な居場所になっていました。

大原さんの「隠居生活」の様子を描いたイラスト(大原扁理さん制作)



 お金ではないやり方で人々がつながっているのって、新しいように見えて、むしろ昔ながらの懐かしい感じ。逆にすべてをお金で済ませられる社会のほうが、ごく最近できた仕組みなのだと思い当たります。

「消費者」でも「事業者」でもない、資本主義経済のシステムから外れた「ただの自分」でいられる場所は、探してみると東京にもあるんですよね。

 2020年5月現在、台湾に生活の拠点があることと、新型コロナウイルスの影響でこれらの開催が中止になっていることもあり、最近は参加できていません。でも、お金で人間の価値を測りがちな現代社会への「楽しい反逆者たち」が東京にもいるということを、私は勝手に心強く思っています。

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