御茶ノ水駅から数分 日本最古の高架橋が魅せる「至高の4連アーチ」を知っていますか
2020年5月3日
知る!TOKYOJR中央線御茶ノ水と神田の間には、4連のアーチが美しい日本最古の高架橋「紅梅河岸高架橋」があります。その紅梅河岸高架橋について、文筆家の広岡祐さんが紹介します。
焼失後も愛された万世橋駅舎跡
万世橋駅の設計者は、のちに東京駅を手がけた建築家・辰野金吾です。
赤レンガの壁面を、花こう岩の白い水平線で飾った意匠は「辰野式」とよばれるスタイルで、帝都のシンボルとなる名建築でした。駅につながる高架橋も、飾りレンガやコーナーストーン、メダリオンなど、さまざまな装飾がみられます。

この駅舎は1923(大正12)年9月の関東大震災で焼失、太平洋戦争中の1943(昭和18)年に駅自体が休止となります。駅舎跡には交通博物館がおかれ、戦後も長く東京の子どもたちに愛される施設になりました。
つながった東京の鉄路 東京市街高架線
1872(明治5)年に初めて開通した新橋~横浜間に続き、上野と埼玉の熊谷が鉄道で結ばれ、隅田川の東側には千葉方面に延びる総武鉄道が誕生します。甲武鉄道の万世橋とあわせて、東京から各方面に延びる鉄道網が整備されていきました。
これらのターミナル駅を結んだのが、東京市街高架線です。神田から新橋までの線路がつながったのは1914(大正3)年。この年に東京駅が完成し、起点だった新橋は高架上の通過駅となりました。

有楽町~新橋間の完成は一足早い1910(明治43)年。浜松町近くの新銭座と、東京駅付近の永楽町を結んだことから「新永間市街線高架橋」と名づけられました。
近年は外国人観光客も注目
東京駅から新橋駅にかけての高架線は江戸城の外堀にほぼ沿っていますが、堀の西側に建設されています。
江戸切絵図を見ると、掘割の東は人家が密集する町人地、西は内堀との間に設けられた武家地です。明治以降に官有地になった武家地側に線路をひくことによって建設費をおさえるともに、人家の密集する下町に鉄道敷設を強行して反対運動が起きることを避けたのでした。

レンガ造りの高架橋にくわえて、埋め立てた外堀上には新たに東海道本線、新幹線の高架線も建設されました。
これらの高架下には数多くの飲食店、飲み屋が立ち並び、サラリーマンの憩いの場として、また近年は外国人観光客の人気を集めるスポットとしても発展しています。現在、高架橋の耐震補強工事が進み、新たな活用法も模索されているようです。
昌平橋から新橋までは約4㎞、じっくり眺め、そして手で触れられる貴重な明治の遺構です。外出自粛の日々が続きますが、コロナ禍が明けたらのんびりと散策してみましょう。
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