かつての「陸の孤島」がトレンドスポットに大変身 1991年オープン「ジュリアナ東京」の衝撃とは

バブル経済が崩壊した1991年、東京港区芝浦に開業した有名ディスコ「ジュリアナ東京」。狂乱の時代の「あだ花」としてだけではなく、同地に思わぬ変化をもたらしていきました。統計データ分析家の本川裕さんが、時代背景とともにその文化を振り返ります。


ウオーターフロント・芝浦の時代的変遷

 地元商店街の店主たちが、突如、巻き起こったこうしたブームに大いに面食らった様子が目に浮かぶようです。

 創立30周年記念「芝浦商店会のあゆみ」(2000年)の「序(ついで)にかえて:芝浦は今、全国的有名地に」の中では、「ジュリアナ東京」が芝浦地域に「青天の霹靂(へきれき)」のような衝撃を与えたことが次のように記されています。

「一昔前までの芝浦は、知名度が低く、殺風景な埋立地の上にできた、いわゆるダサイ町でした。現在のような生き生きとした街に至るまでには、かなりの時間を要しました。世にいう『陸の孤島・芝浦』というありがたくないレッテルは、一朝一夕にはがすことのできない状況にあったのです。1991年開店のジュリアナ東京は状況を一変させました。オープンと同時に、世の若者の目はジュリアナへホットに向けられ、連日連夜、押すな押すなの盛況。周辺には全国から集まったナンバー車のオンパレードといったすさまじさ。あらゆるマスコミも同店をとりあげたおかげで、「ジュリアナのある芝浦」は、区内の六本木や赤坂といった一等地と肩を並べるほど大々的にクローズアップされました。やがて、ディスコフィーバーも冷めかけた矢先、こんどは芝浦とは目鼻の先に夢の架け橋お台場へとつながるレインボーブリッジが完成。都心の一大観光地へと注目を集め、芝浦は都心から近いウオーターフロントとして見直され、これまたイメージアップにつながったのです」。

 当時の興奮を伝えるドキュメントとして、少し長くなりましたが引用しました。

ディスコの盛衰をまとめた年表(画像:本川裕)

 なお明治末以降、埋め立て開発が進み、ダルマ船が行き交う運河と倉庫の街となる以前の芝浦は、風光明媚(めいび)な海岸に料亭が立ち並び、要人を運ぶ人力車が車列をなす近郊リゾート地であり、それが、小林秀雄らの文士が大学サークル室のように使っていたことでも知られる芝浦花柳界が軒を並べるいわれともなりました。

タワマン立ち並ぶ住宅地への変貌

 陣内秀信「東京 (世界の都市の物語) 」(1992年)は、バブル期に注目された芝浦エリアのウオーターフロント・レジャー施設を、明治時代の「芝浦海岸リゾート」の再来と位置づけていますが、芝浦地区をよく知っている者ならではの卓見であると思われます。

かつて「ジュリアナ東京」があった芝浦の周辺(画像:(C)Google)

 あだ花のような「ジュリアナ東京」だけでなく、倉庫街のロフト文化全体が、その後、時代の流れとともに衰退し、芝浦港南地区は、今では、東京圏における都心回帰の受け皿として、「芝浦アイランド」などタワーマンションの林立する高層住宅地として新しい歴史の歩みを進めています。


【画像】貴重な当時の写真も! 東京にあった有名ディスコの「年表」を見る

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