スナックから江戸の老舗までが混在 文化が縦横に交差する「上野2丁目」の魅力とは

  • スポット
  • 上野駅
スナックから江戸の老舗までが混在 文化が縦横に交差する「上野2丁目」の魅力とは

\ この記事を書いた人 /

五十嵐泰正のプロフィール画像

五十嵐泰正

筑波大学大学院准教授

ライターページへ

ターミナルの一角である台東区上野。そのごった煮な魅力について、筑波大学大学院准教授の五十嵐泰正さんが解説します。

由緒と格式ある「上野2丁目」

 2月17日(月)にアーバンライフメトロへ寄稿した記事「ごちゃ混ぜ感がたまらない? 上野という名の『キャラ渋滞』都市」で、あまりに多くの、そして方向性のバラバラな都市的魅力がある――という、ぜいたくな悩みを持つ上野を「キャラ渋滞」の街と書きました。

 とはいえ上野の中をさらに細かく見れば、地区ごと、通りごとにかなり色合いの違いがあります。

 美術館と博物館の集積する上野恩賜公園(台東区上野公園)と鮮魚店とニッチな専門店が軒を連ねる「アメ横」はわずか300m程度のごく近い距離ですが、全く別のキャラなエリアであることは言うまでもありません(こんなに近いのに客層が全く違うからこそ、これらのエリア間の回遊性に課題があるのですが、それはまた別の機会にお話しします)。

 ただ、長い歴史を経る間にひとつの通りや横町に多種多様な店舗が立地し、まったく違う客層を引きつけるようになった地区も存在します。いわば、どんなに細かくゾーン分けをしても分けきれないような、ごちゃ混ぜな上野の中でも特にごちゃ混ぜなエリアと言うべき場所。その代表格は、上野2丁目ということになるでしょう。

夜の上野2丁目の様子(画像:五十嵐泰正)



 上野2丁目は不忍池の南側、中央通りの西側に広がる仲町通りをメインストリートとする地区ですが、その西側は文京区湯島3丁目との間に入り組んだ区境が引かれています。

 実際に江戸時代から1879(明治12)年の区制施行まで、この地区は現在の台東区(旧下谷区)側の旧池之端仲町、数寄屋町、文京区(旧本郷区)側の同朋町、天神町などが一体の花街として栄えていました。

 後に下谷の花街と呼ばれるようになるこの花柳界は、幕末には柳橋(台東区)に次ぐ江戸第2位とたたえられ、昭和10年代まで隆盛を誇っていました。上野2丁目は、徳川家菩提寺の寛永寺(同区上野桜木)へと至る将軍の御成街道だった中央通りと並んで、上野の中でも古くから商業集積が進んだ由緒と格式ある街なのです。

風俗店街の中に点在する老舗

 例えば1923(大正12)年生まれの小説家・池波正太郎は、子供の頃のこのエリアを、こんなふうに描写しています

「そうした、小さくとも何やら由緒ありげな商舗が物しずかにたちならぶ通りで、池之端に面した側は、江戸時代の水茶屋が立ち並んでいた雰囲気もあり、その反対の南側は、下谷の芸者町という……私が少年のころは、まだ、そうした江戸のおもかげが、かなり色濃くただよっていたようにおもわれる」(池波正太郎『江戸古地図散歩』)

 その「名残」をとどめるかのように、花柳界の御用達だった和装小物や呉服屋、そば屋やとんかつ屋などの老舗が、現在でも点在しています。

 ただ現在の仲町通り近辺には、一見すると往時の雰囲気は全くありません。現在のこのエリアに目立つのは、居酒屋や飲食店以上に、スナック、キャバクラや風俗店の看板です。

「キャバクラ通り」ともやゆされて久しいメインストリートの仲町通りで江戸時代から続く老舗は、派手な色彩の看板を掲げて客引きを繰り出す夜のお店にすっかり埋もれてしまい、初めて通りを歩いた人にはなかなか目につきません。

老舗画材店も風俗案内所の看板の隣で埋もれ気味……(画像:五十嵐泰正)



 そして、老舗焼き肉店などの在日コリアン系経営者はいまや商店会の中核であり、中国・韓国・フィリピン・タイなどニューカマーのアジア系パブや、各国家庭料理店がひしめく多文化的なエリアともなっています。

 江戸時代からの文化蓄積や商業集積の重みがある上野2丁目は歌舞伎町のようなけばけばしい盛り場として、もしくは新大久保のような多国籍タウンとして、まちづくりやイメージ形成に踏み出すことは、ちょっとありえない選択肢です。

 とはいえ「江戸の風情」をいまに伝える通りにするために、こうしたお店を排除しようとするのは、まったくもって現実的ではありません。もはや経済的に不可能なだけでなく、そもそも花街として発展してきた延長線上に、形は大きく変われどもこの街が歓楽街として機能していることを忘れてはならないでしょう。

粘り強いパトロール活動が生んだ結果

 このように、都市的資源が豊かに堆積した街であるがゆえの難しさを抱える上野2丁目ですが、そんなエリアにこそ一定のルールと秩序は必要です。

 例えばキャバクラや風俗の客引きがあまりに激しく、わずか200m余りの仲町通りを通り抜けることもままならないようだったら、カップルや女性客は足を遠ざけてしまいます。

 スナックもキャバクラもフィリピンパブも、焼き肉屋もバーもそば屋も、そして和装小物店や呉服店も、すべてが混在する街だからこそ、誰もが安心して歩ける通りにならないと、かえって風俗店以外のお店がつぶれてしまうことにもなりかねません。

 ごちゃ混ぜの街だからこそ、客層と店舗構成の多様性を守るために客引きは野放しにできないのです。

 そのようなわけで地元の商店会は激化する客引きを前に、粘り強くパトロール活動を長年行い、台東区はより広範に客引き・客待ち行為を取り締まれる条例を施行しました。こうした取り締まりはいたちごっこの繰り返しなので、客引きの根絶に至ることはありませんが、2017年秋の客引き条例の施行は一定の効果があったようです。



 ただそうなると、今度は気になるうわさが聞こえてきました。客引きをやめたことによって売り上げの下がったキャバクラが上野から撤退し、空き店舗が増えてビルオーナーさんが困っている……と!

空き店舗を使ったイベントで再注目

 まちづくりに必要なこととはいえ、あちらを立てればこちらが立たず。街という複雑に絡みあう生き物を相手にする試みは、何であれまっすぐには進まないものです。そんななかで、面白い動きが上野2丁目で始まっているのをご紹介しましょう。

「アーツ&スナック運動」という、ちょっと変わった名前のイベントが、2019年9月初めて開催されました。

 仲町通り周辺の旦那衆による実行委員会が、東京大学都市デザイン研究室のサポートを受けて主催したこのイベントのコンセプトは、「アート」で「スナック」をジャックすること。

 仲町通り沿いの元スナックや元クラブだった六つの空き店舗会場で、東京芸術大学(台東区上野公園)の学生によるアート作品の展示や地元店舗による組紐(くみひも)や和装の体験、さらにはカウンターに置かれたモニターで人気バーチャルYouTuberが接客する「Vtuberスナック」など、多彩なイベントが催されました。

「アーツ&スナック運動」の一コマ。直島なぎさによる作品「仲町のリアル」は、この街の多文化性を映像で示した(画像:五十嵐泰正)

 イベントは夜の街に慣れていない人たちにとって、敷居の高いスナックやクラブといった空間をのぞいてみる、貴重な機会となっていました。

「歴史」と「世界」が織りなす奥深い魅力

 中でも多くの人を集めていたのは、地元で長年写真館を経営してきた古老の昔語りと、スナックママのトークイベント。こうした話を、無味乾燥なホールではなく、ソファとシャンデリアが彩る夜の社交空間で聞くのは、本当に味がある体験です。

歓楽街のど真ん中にたたずむ創業360年の組紐店(画像:五十嵐泰正)



 また仲町通りかいわいで働く外国人たちの多様な語りを、元ビアハウスの空き店舗で映像作品として展示した企画も興味深いものでした。

 上野きっての由緒を誇るこのエリアの来歴と文化的蓄積、確かに育まれてきたスナックという文化、そしていまや欠かせないピースとして多様な背景と文化をこの街にもたらした人たち。

 このイベントの各会場を回った参加者は、こうした文化が縦(歴史)・横(世界)に交差する場としての、上野2丁目の奥深い魅力にあらためて目を見張ったことでしょう。

空きスペースの持つポテンシャル

 さらに、アーツ&スナック運動には隠れたもうひとつの目的がありました。それは、このイベント自体を空き店舗が増えつつある仲町通りでの「内覧会」にしていこう、ということ。

開かれた「内覧会」という隠れコンセプト(画像:五十嵐泰正)

 数々のトークイベントや体験ワークショップは、普段こうした場所に縁遠い業種の人たちに、「スナックやクラブの空間はこんな使い方もできますよ!」と提案する機会でもあります。歓楽街の空きスペースも物件としてのポテンシャルは大きく、実際仲町通りには雑居ビル中層階にユニークなゲストハウスが開業した例も生まれています。

 アーツ&スナック運動のいくつかのイベント会場には会場の物件情報チラシが置かれていましたが、歴史と文化が「ごちゃ混ぜ」に折り重なったこのエリアに、新たな風が入ってくるきっかけとなる可能性を秘めています。

アフターコロナの「夜の街」とは

 ここまでの内容は、元来3月上旬に書いたものでした。

 ですがその後、新型コロナウイルスの都内での感染者数は増加の一途をたどり、4月7日(火)には東京都を含む7都府県に緊急事態宣言が発令されました。中でも「夜の街」は、クラスターの発生が懸念されるいわゆる「3密」の空間として、スナックやキャバクラなどは休業要請対象業種となっています。

 仲町通りはまさに、いまも昔も「夜の街」。

 これまでは客引きなどをめぐって問題化されていましたが、新たに深刻な感染リスクも加わってしまった形です。新型コロナウイルス対策は長期戦となるとの見通しも示されるなか、「夜の街」に安心して客が訪れるようになるには時間がかかるかもしれません。ご紹介したアーツ&スナック運動も、第2回以降の開催を定例化すべく計画していましたが、見通しはつきにくそうです。

 ただ、前述の「ごちゃ混ぜ感がたまらない? 上野という名の『キャラ渋滞』都市」でも紹介したとおり、都市とはさまざまに異質な人たちが高密度に出会う場と定義するならば、「3密」の「夜の街」は本来、都市そのものとも言えます。

 現在、「ソーシャル・ディスタンシング」と「ステイホーム」は厳守事項ですが、集い、語らい、交流するという人間の本能にくさびを打ち込むようなこのパンデミック(世界的大流行)を、克服できる日が早く来ることを願ってやみません。

関連記事