90年代、地方民は東京を目指したーーなぜなら「深夜アニメ」があったから

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90年代、地方民は東京を目指したーーなぜなら「深夜アニメ」があったから

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昼間たかし

ルポライター、著作家

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アニメファンにとって、今は定番となった「深夜アニメ」。その歴史について、ルポライターの昼間たかしさんが解説します。

都会しか見られないアニメがあった

「東京じゃ、CMが全部動いているんだ!」

 かつて地方民が東京に憧れる重要な要素として、「テレビ番組が充実していること」が挙げられました。

 筆者(昼間たかし。ルポライター)が住んでいた岡山県は全国的にみればテレビ番組に恵まれていた土地でした。なぜなら筆者が小学生だった1985(昭和60)年10月にテレビ東京系列の「テレビせとうち」が開局し、地方であるにもかかわらずテレビの系列がすべてそろっていたからです。

 それでも、上京したときには東京のテレビに驚きました。もっとも衝撃的だったのは、すべてのコマーシャルが「動いていた」からです。今は地方局でも見なくなりましたが、かつては静止画にナレーションを使ったローカル企業・店舗のCMがざらにあったのです。

 しかしそんなものは存在しないとばかりに動きまくる東京のテレビには、心底すごいと思ったものです。

 東京のテレビがうらやましかった過去から連綿と続く地方在住者の声をより濃厚に感じるようになったのは、20世紀が終わる頃でした。

 その頃、急増していたのは深夜アニメでした。そう、まだ現在のように配信サービスが充実しておらず、都会でなければ見られないアニメがたくさんあることが、地方のアニメファンたちにとって、東京への憧れとなっていました。もちろんセルやレンタルビデオは当時もありましたが、この「タイムラグ」は容認できないものだったのです。

深夜アニメを加速させた「エヴァ」

 今では日本のテレビアニメの定番となっている「深夜アニメ」ですが、この定番化に先鞭(せんべん)をつけたのは、1996(平成8)年にテレビ東京系列で放送された『エルフを狩るモノたち』で、いわゆるオタク要素の強いファンタジーコメディー作品でした。

 当時、そのようなアニメは夕方に放送するのが当たり前でした。例えば社会現象となった『新世紀エヴァンゲリオン』は1995年10月に放送を開始していますが、放送時間は水曜日の18時30分からでした。

1990年代を代表するアニメ作品で、社会現象まで巻き起こした『新世紀エヴァンゲリオン』(画像:(C)カラー/Project Eva.)



 ゆえに、放送時間を深夜にして視聴者を獲得することができるかどうかは、テレビ局内で心配の声が上がったといいます。

 ところが放送してみると、深夜にも拘わらず視聴率は「2%台」というまずまずの数字。原作のコミックやサウンドトラックも売れ、メディアミックスでの経済効果も見られました。

 このとき、深夜にアニメを放送することのうまみが徐々に見え始めたのですが、それを加速させたのは、1996年3月に衝撃的な最終回を迎えた『新世紀エヴァンゲリオン』の存在でした。

 1997年の劇場版公開前、深夜に再放送を行ったところ、これまた高視聴率を獲得。加えて当時、数百億円ともいわれた経済効果に多くの企業が目を付けました。

高まる「製作委員会方式」への認知

 ここから、現在では当たり前となった複数の企業による出資でアニメをつくる「製作委員会方式」が認知されていくことになります。そういった過程で深夜アニメが一般に広く知られるようになったのは、1997年4月の三菱商事による参入です。

 このとき話題になったのが、同月からテレビ東京系列の水曜深夜1時45分に放送が始まった『HAUNTEDじゃんくしょん』です。

『HAUNTEDじゃんくしょん』(画像:夢来鳥ねむ、スタジオディーン、HAUNTEDじゃんくしょん製作委員会、テレビ東京、NTT DOCOMO)

 クレジットでは、三菱商事は企画協力。製作は「HAUNTEDじゃんくしょん製作委員会」となっていましたが、まだ出資企業が集まる製作委員会方式は広く知られていない時代で、週刊誌では「三菱商事が深夜アニメの枠を30分間買い切った」と話題になりました。

週刊誌も取り上げるほどのムーブメントに

 この頃から、深夜アニメをめぐるテレビ局やスポンサー企業の話題は週刊誌でたびたび取り上げられることとなります。

 秋になり、テレビ東京系列以外でも深夜アニメへの参入が始まると、「週刊新潮」は「第二のエヴァンゲリオンを狙う深夜のアニメ戦争」というタイトルで、週4本を放送するテレビ東京に対して、人気マンガのアニメ化である『剣風伝奇ベルセルク』を放送する日本テレビ、『深海伝説マーメノイド』で初の深夜アニメに挑戦するテレビ朝日の「対決」を取り上げています(1997年10月2日号)。

『剣風伝奇ベルセルク』(画像:三浦建太郎、OLM TEAM IGUCHI、日本テレビ、バップ、NTT DOCOMO)



 こうして次第に定着していった深夜アニメの利点は、夕方の時間帯よりも自由度が高かったことです。

 夕方の時間帯は放送が困難であろう、過激なアクションやセクシーシーンも表現できるようになったことで、アニメファン以外の幅広い層も楽しめる作品、さらには前衛的な作品が生まれていきました。

止められない「あと1分!」の快感

 放送作品数は2000年代前半に急増しましたが、すべての放送を楽しめるのはまだ大都市圏の限られた人たちだけでした。そのため、雑誌で記事になっていても見られないアニメがいよいよレンタルを開始するとなると、朝からワクワクが止まらなかったという人も大勢いたのです。

 そしてようやく待ちに待ったアニメを楽しみながら、一番初めに無料で見られる東京への憧れを募らせたのです。

深夜アニメの放送を待つ人のイメージ(画像:写真AC)

 いまや配信サイトの普及もあり、全国のどこでもいつでもアニメが見られる時代です。それでも「あと1分!」とテレビの前にスタンバイする、あの快感はやめられません。

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