どうしても添い遂げたい男がいる――身分違いの純愛を描く『紺屋高尾』【連載】東京すたこら落語マップ(9)

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どうしても添い遂げたい男がいる――身分違いの純愛を描く『紺屋高尾』【連載】東京すたこら落語マップ(9)

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櫻庭由紀子

落語・伝統話芸ライター

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落語と聞くと、なんとなく敷居が高いイメージがありませんか? いやいや、そんなことないんです。落語は笑えて、泣けて、感動できる庶民の文化。落語・伝統話芸ライターの櫻庭由紀子さんが江戸にまつわる噺を毎回やさしく解説します。

遊女と職人 3年越しの、1度きりの逢瀬

 落語には実在の人物を題材にした演目がいくつかありますが、その中でも「高尾」ほど有名な吉原太夫はいないでしょう。

 太夫(たゆう)とは、大名道具と言われる一般庶民には手の届かない最高位の遊女。その美しさと手練手管は、店の身代や果ては国をも傾けることから「傾城(けいせい)」ともいわれますが、物語の中の高尾太夫は人情味にあふれる聡明(そうめい)な人物として描かれています。

 落語の演目「反魂香(はんごんこう)」「仙台高尾」などでは悲劇のヒロインとして知られている高尾太夫ですが、今回は一介の職人に嫁した高尾を描いた、ハッピーエンドの人情噺(ばなし)「紺屋高尾」を見てみましょう。

鳥居清倍 画「三都の太夫」 右から江戸新吉原の高尾太夫、京都島原の一文字屋半太夫、大坂新町の夕霧太夫(画像:櫻庭由紀子)



※ ※ ※

 神田紺屋町、染物屋吉兵衛のところの職人・久蔵が患ってことを心配した親方・吉兵衛は、お玉ヶ池の医者・蘭石先生を呼ぶ。やってきた蘭石先生が久蔵に話を聞いてみると、吉原は三浦屋の太夫・高尾に恋煩いの様子。

 吉原の太夫なんぞ大名道具。とても町人が会えるものではないと嘆く久蔵。しかし、蘭石先生は「太夫といえど売り物買い物。三年、一生懸命に仕事をして十両貯めたら会わせてやろう」と約束する。

 それを聞いた久蔵、すっかり元気になり、こっそり蘭石先生から様子を聞いた親方も安心。久蔵はこれまで以上に一生懸命に働いた。

 そうして三年。恋煩いのことなどすっかり忘れてしまった親方は、ためたお金でのれん分けをするからあと一年預けておけという。

 しかし、今すぐ渡してほしいという久蔵。使い道を問い詰める親方だが、涙ながらに訴える久蔵の話を聞いてすっかり感心。「一晩でパーっと使ってこい」と結城の着物に草履まで貸して身なりを整えてやり、吉原へと送り出した。

3年間も、私を思い続けてくれたのですか

 蘭石先生の提案で「流山のお大尽(財産を多く持っている者)」という体にして吉原にやってきた。

 蘭石先生が茶屋のおかみに頼んでみると、ちょうど高尾太夫は空いているという。部屋に上がると、恋い焦がれた高尾太夫。初回とは思えぬもてなしに、久蔵は思い残すことはない。

 後朝の別れの朝。高尾の「ぬし、今度はいつ来てくんなます」の問いに、久蔵は「三年たったら、また来ます」と答えるしかない。

 その様子を不思議に思った高尾に「他の人は明日来る、明後日来るというところを、ぬしさまはなぜに三年なんざます?」と聞くと、うそがつけない久蔵はついに思いを打ち明ける。

「自分は、流山のお大尽でもなんでもない、ただの紺屋の職人です。花魁(おいらん)に会いたくて会いたくて、三年働いてお金をためて来ました。この着物だって草履だって、親方が貸してくれたものです。また三年お金をためなくちゃ、ここには来られないんです」

 久蔵の真の言葉を聞いた高尾は「四姓と枕をかわす身を、三年も思い続けてくれたのか」と涙をほろり。

「わちきは来年三月十五日に年季が明けんすによってぬしの元に参りんすが、ぬし、わちきを女房にしてくんなますか?」

 夫婦になる約束のしるしと香箱のふたを受け取り、夢見心地で神田へ戻ってきた久蔵。高尾が嫁になるといっても、当然のことながら誰も信じてくれない。しかし久蔵は高尾の言葉を信じて、「来年三月十五日に高尾が来る」と一生懸命に働いた。

 そうして年が開けた三月十五日。久蔵の店の前にかごがつき、中から現れたのは髪を島田に結い歯を黒く染めた高尾太夫。迎えた親方の声に飛んできた久蔵と、手を取り合い涙を流して喜んだ。

傾城に誠の恋なしとは誰がいうなり、
傾城に誠の恋あり、紺屋高尾の物語。

※ ※ ※

今も地名に残る「神田紺屋町」

●「紺屋高尾」と「幾代餅」
「紺屋高尾」と同じ内容の噺で、古今亭がかける「幾代餠」があります。登場人物と舞台が違うだけで、まったく同じストーリーです。

「幾代餠」では、三浦屋の高尾太夫は姿海老屋の幾代太夫に、神田紺屋町の紺屋・久蔵は日本橋馬喰町のつき米屋・清蔵となっており、太夫に一目ぼれしたきっかけは、久蔵は「吉原の花魁(おいらん)道中」で、清蔵は「絵草紙屋で見た錦絵」となっています。

 また、お玉が池の蘭石先生は藪井竹庵先生。吉原にやたら詳しいヤブ医者風情が強調されているようです。

●神田紺屋町
 久蔵が働いている紺屋がある町。現在も存在している町名です。慶長年間(1596~1615年)に誕生し、当時は藍染め物問屋が軒を連ねていたといいます。その光景は明治後期の「風俗画報」によると

……其(そ)の晒(さ)らせし布は概(おおむ)ね手拭染にして……晴天には、いづれ晒らさぬ家もなく、遠く之を望むに、高く風に翻(ひるが)へりて、旗の如く又幟(のぼり)の如く、頗(すこ)ぶる美観なり

と描かれ、浮世絵にも残されています。紺屋町は流行の発信とされ、藍染めといえば紺屋町。紺屋町以外で染められた藍染めは「場違い」といわれるほど、紺屋町ブランドは高く評価されていました。

●お玉ヶ池
 現在の東京都千代田区岩本町2丁目5番地の辺りにあった池。江戸後期の頃より宅地化が進み、池自体は残っていません。現存する「お玉稲荷」の横には、東京大学医学部の前身となる「お玉ヶ池種痘所跡」があります。

 お玉ヶ池の周辺には蘭学や儒学、漢学などの学者が多く住んでおり、江戸学問の中心地。蘭石先生が住んでいたのもうなずけます。ただし、親方によると蘭石先生は「医者はまずいが女郎買いについては右に出るのはいない」との評価ですので、その腕はというとおぼつかないようです。

「花魁」は吉原特有の呼び名だった

●吉原
 いわずと知れた幕府公認の遊郭のまち。現在の東京都台東区千束4丁目、および3丁目の一部です。

 実は「花魁」は吉原特有の呼び名。他地域の遊郭の遊女たちは「女郎」と呼ばれ、吉原は遊郭の中でも特別でした。

「太夫」の位は宝暦年間にはなくなったとされ、同時に高尾の名跡を持っていた三浦屋も廃業したといわれています。

吉原六代目見返り柳にある案内板(画像:櫻庭由紀子)



 全盛期には、一夜で千両の金が動いたといい、文化の発祥を担っていた吉原ですが、江戸後期になると向島や新橋、辰巳など「芸を売る」芸妓(げいぎ)がいる場所へ社交の場が移り始め、明治期には縮小の一途をたどります。

 現在でも、吉原で遊んだ男が名残を惜しんで振り返る場所「見返り柳」が碑と共に残されています(現在は6代目)。また、竜泉3丁目には吉原を舞台にした小説「たけくらべ」の作者、樋口一葉の記念館があります。

歴代・高尾の中でも幸せ度ナンバーワン

 紺屋高尾は実在の人物だったとされています。「高尾」は三浦屋の最高位の太夫の名跡で、島原の吉野太夫、夕霧太夫と並ぶ三名妓(めいぎ)のひとり。その名代にはさまざまな説があり、六代説・七代説・九代説・十一代説の4説が有力です。

 紺屋高尾は五代目または六代目。1720(享保5)年に庄司勝富によって書かれた「洞房語園 (どうぼうごえん)」によると、

紺屋九郎兵衛請け出す。五代目までに無き美しき女にて、筆跡ことの外よろしく、心ばへすなほにて、誠に貴人の奥方となるとも、はづかしからぬ生れのよし

とあり、歴代の高尾の中でも一段と優しく聡明な女性であったようです。1700(元禄13)年に初出となり、1710(宝永7)年または1711(正徳元)年に、お玉が池の紺屋九郎兵衛に請け出されたのではないかといわれています。

 四代目柳亭左楽の1898(明治31)年の口演速記によると、主人公は神田お玉ヶ池の紺屋六兵衛のところの職人、久造となっています。

 ストーリーはだいたい同じですが、お金をためる期間が2年で20両、高尾が久蔵を待たせる期間が2年です。時代が進むにつれ、リアリティーを追求して変化していったというところでしょうか。

 人情噺ゆえに、はっきりしたサゲ(落ち)はないのですが、演者や流派によってさまざまな型でサゲています。

 基本形は、全盛の花魁・高尾太夫の顔見たさにあるものを全て染めにいった客が黒猫を持って行こうとして、他の客に「黒猫をどうするんだ」と聞かれて「なに、色揚げしてもらう」というサゲ。先述の左楽もこの基本形です。

 立川談志や五代目三遊亭圓楽は、はっきりとはサゲずに人情噺らしく仕立て、六代目三遊亭圓生は、のれん分けされた久蔵と高尾の店では高尾が考案した駄染(だぞ)め(紺だけで染めること)が話題となり、高尾がかめをまたいで染める姿を「ひょっとしたら見えるんではないかと……」と、客が見に行ったのは高尾の顔なのか違う部分なのかと含みをもたせています。

歌川広重画「名所江戸百景・神田紺屋町」(画像:櫻庭由紀子)



 歴代の高尾の中で、町人の職人に嫁したのは紺屋高尾のみ。ほかは、大名や藩主に落籍(ひか)され、それぞれに数奇な人生を歩んでいます。中でも初代または二代目の「仙台高尾」はだて騒動で惨殺されたなどの逸話が残り、一方では「君は今、駒形あたりほととぎす」というラブレターを送ったともいわれ、真相は謎のままです。

 最高位の太夫と職人の純愛を描いた「紺屋高尾」ですが、最近では「太夫といえども売り物買い物、金を出せば高尾を買える」とのセリフがあるがために、地方や寄席ではかけられなくなっている演目です。

 しかし、久蔵が高尾を吉原の太夫というブランドに関係なく思い続け、いくらでも金持ちの身請け話があるだろう高尾が職人にすぎない久蔵に嫁にいくという純愛ストーリーは、今も昔も人気の大根多(ネタ)。

 身分違いの恋を題材にした芝居は悲劇的に描かれることが多い中で、純愛ハッピーエンドのストーリーをあえて持ってくるあたりがいかにも落語的。幸せな気分になれる一席です。

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