「天国で皆を笑わせて」東村山市民15人が志村けんさんに送った熱き「心の声」とは

3月29日に亡くなったコメディアン・志村けんさんへの深い愛を、志村さんの出身地である東京都東村山市在住のイベントプロデューサー・テリー植田さんと地元の人たちが語ってくれました。


「笑ってもらってなんぼ」の精神

 私は小学2年生のとき、昼休みに友達とヒゲダンスをまねて遊んでいました。フェルトペンで黒く塗ったセロハンテープを、鼻の下に貼ってよく踊っていました。友達にあだ名を付けたり、給食で牛乳を飲むときに友達を笑わせたりしていました。

東京都東村山市の場所(画像:(C)Google)

 また、新聞部員として笑いのある芝居を企画しました。

「もしも新聞がなかったら」という設定の芝居で、指名手配されている殺人犯が家にやって来て大騒動になるのですが、新聞を読んでいたから指名手配犯だとすぐに気がつき、警察に通報できたと言う話でした。テレビをつけるとニュース番組では俵孝太郎風のニュースキャスターが出てきて、「こんばんは、俵紅茶郎です。殺人犯は逮捕されました」と、紅茶を飲んでギャグを言うのです。

 この芝居は、バラエティー番組「ドリフ大爆笑」の「もしもシリーズ」をまねたものでした。小学生時代に人を笑わせるという、私にとって人生最大の楽しみを教えてくれたのはザ・ドリフターズであり、志村けんさんでした。

 私が本職のイベントプロデューサーとして司会をしながら必ず笑いを入れるのも、夏にそうめん研究家のソーメン二郎という変なキャラクターで笑いをまぜてそうめん普及活動をしているのも、無意識のうちに志村けんさんの影響を受けているかもしれません。子どもの頃から「笑ってもらってなんぼ」という精神が培われ、そのまま大人になって仕事をしている感じです。

「ファミリー感」あふれる東村山

 私は東京に来て25年、東村山に住んで15年、市内で5回引っ越ししています。東村山に住むまでは、家の近所にいきつけのBARや居酒屋なんてほとんどなかったのですが、東村山に住むようになってからはご近所付き合いがたくさん増えました。

東村山駅の外観(画像:(C)Google)

 最初は、恩多町にある小山農園に入園して野菜の栽培をするようになり、余った野菜を同じマンションの人におすそ分けしたり、スナックのボーイさんや飲食店の料理人さんと仲良くなって家族付き合いをするようになったり、新宿歌舞伎町ゴールデン街で一緒になった隣の人が私と同じマンションの住人で、地元で飲みに行くようになったり、東村山市長を訪問して意見交換をさせてもらうようになったりしました。

 東村山は「ファミリー感」をすごく感じる街なのです。それも日本人だけでなく東村山に在住するタイ人、ネパール人、中国人、ベトナム人など多国籍でコミュニケーションがある。このファミリー感のルーツになっているのは志村けんさんではないかってずっと思っています。

「母親同士が知り合いだった」


【画像】あなたは、東村山駅すぐそばの「志村けんの木」を知っていますか?

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