新宿歌舞伎町は明治以来、感染症バトルの「聖地」だった コロナ感染拡大のいま振り返る

新型コロナ感染拡大を受けて、現在「感染症」に関心が集まっています。そんな感染症の「聖地」が新宿歌舞伎町にありました。地形散歩ライターの内田宗治さんが解説します。


死を待つためだけの施設

 そのひとつが、東京府豊玉郡大久保村百人町に設けられた東京府立大久保避病院でした。現在の住所では新宿区歌舞伎町2丁目です。ゴジラが屋上に顔を出す新宿東宝ビルの北隣に位置します。

ゴジラが屋上に顔を出す新宿東宝ビル。歌舞伎町の中心地的存在(画像:内田宗治)

 前年(1885年)に山手線新宿駅が開業していますが、一帯は人家の少ない東京郊外といった状態でした。

 このほか、駒込動坂町(現・都立駒込病院)、渋谷村(現・都立広尾病院)にも避病院が設置されていきます。いずれも東京市の町はずれ付近にあたります。

 避病院は多くの場合、死を待つためだけの施設と化しました。

 そのため病人でも避病院行きを嫌ったり、身内では病人を隠したりするものも大勢いました。「避病院では生き血を採られ、肝を抜かれ、燻(いぶ)され、揚げ句の果ては殺される」といったうわさが広がっていました。

 江戸っ子は「ひ」を「し」と発音します。「ひとつ」は「しとつ」と言います。避病院は「死病院」と発音され、そのことも、避病院が忌避されることに拍車をかけたようです。

 コレラ流行が多く発生したのは明治時代前半でしたが、大正時代に至っても流行は起き、1916(大正5)年の流行時、大久保避病院の隔離所では1191人の患者を収容しています。

感染症の「聖地」

 大久保避病院は現在、東京都保健医療公社大久保病院となっています。隔離所も含めたかつての大久保避病院の敷地は現在、大久保病院、東京都健康プラザハイジアのほか新宿区立大久保公園となっています。

前身が大久保避病院の東京都保健医療公社大久保病院と東京都健康プラザハイジアの建物。手前は新宿区立大久保公園(画像:内田宗治)

 同地を訪れると、歌舞伎町歓楽街に隣接しながらも、ここだけ明るく健康的な環境なのが、ちょっと不思議に感じられます。ですが感染症と闘ってきた聖地のような場所という歴史を知ると、その雰囲気に納得することでしょう。

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