都心に一番近い「ダム」は原宿駅だった? 地形から見る魅惑の東京風景

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都心に一番近い「ダム」は原宿駅だった? 地形から見る魅惑の東京風景

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大山顕

フリーライター、写真家

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雨水をためたり洪水を防いだりして、私たちの暮らしを支える「ダム」。そんなダムの中でも「都心に最も近いダム」について、フリーライターで写真家の大山顕さんが解説します。

ダム =「水をなくす」ではない

 新型コロナウイルス対策として専門家会議が提言した、「ピークカット戦略(集団免疫戦略)」のグラフを見て「おっ!」と思いました。その図が「洪水調整」の説明のものに似ていたからです。

 洪水調整とは、治水ダムや多目的ダムが行うことのひとつです。簡単に言うと豪雨などの際、水をダムにためること。一時的にダムの下流の河川に流れる水量を減らして、水による被害を防止・軽減するわけです。

 ここで重要なのは、ダムは決して「水をなくす」わけではないということ。いつかたまった分の水を放流しなければなりません。人間は水を「なかったこと」にはできないわけですから。洪水調整とは水位上昇をなだらかにしたり、最大流量を抑制したりすることが目的です。

 つまり、ダムは時間を稼いでいるのです。新型コロナウイルス対策の「ピークカット戦略」もまさに同じなのだな、と知って興味深く思ったのです。

土木 = 時間を止めようとする装置

 僕(大山顕。フリーライター、写真家)は土木構造物を専門に写真を撮り、文章を書く仕事をしています。これまでさまざまな土木インフラの専門家や設計・施工をする人たちにお話を聞いてわかったことがひとつあります。

 それは、土木とはいわば「時間を止めようとする装置」ということです。

 雨が降り、水が流れ、波が寄せては返し、日が照り、風が吹く。時には地震も起きる。それらは環境を大きく変えてしまいます。自然の作用とは「遷移」です。

 例えば河川は放っておくと、流れるルートを変えてしまいます。しかし、それでは人の生活、特に都市は成り立ちません。そのために護岸が設置されるわけです。人間が安心して暮らせるには「変わらないこと」が重要なのです。

 アスファルト舗装は地面を変化させないために敷かれています。土木構造物の多くは、このように「変わらないこと」を目的に作られています。時間とともに変わってしまうものを、なんとか必至に食い止める――詩的な言い方をするのなら、それは「時間を止めようとする装置」ということです。

都心に最も近いダムはどこだろう?

 さて、前置きが長くなりました。ここまでは「土木趣味」をもつ僕がどういうことを考えているかの紹介でした。僕のような人間はけっこういます。

 例えば、ここ数年でダムを見に行くのを趣味とする人が増えている、という話を見聞きした人も多いのではないでしょうか。良い季節の連休ともなれば都心に近い各地のダムは観光客でにぎわい、管理者側も放流情報を提供して集客に努めています。土木構造物へのまなざしはここ十数年でずいぶん変わりました。ダムはその急先鋒(せんぽう)でしょう。

 先日、そんなダム趣味の数人に会う機会があり、ふと思いついてある質問をしてみました。それは「都心に最も近いダムはどこだろう?」というものでした。

「村山下ダムかな」「千葉の山倉ダムではないか」「相模原沈でん池という可能性も」など、さすがのダム知識が披露されだんだんと盛り上がり、最終的に僕はおいてけぼりになってしまいました。何の気なしに軽々しく質問したことを後悔したものです。

 僕自身はダムに興味はあるものの、まったく詳しくありません。そこで、ちょっと違うアプローチで「都心に最も近いダム」を考えてみました。そして出した答えは、内濠(うちぼり)です。

牛ヶ渕から見た田安門の土手。ダムに見える(画像:大山顕)



 九段下駅から日本武道館(千代田区北の丸公園)へ向かう途中、江戸城に造られた「田安門」をくぐることになります。この門の手前の壕を渡る土手部分は、いわばダムです。

牛ヶ淵は「ダム」だった?

 桜の名所として有名な千鳥ヶ淵と牛ヶ淵は、徳川家康が江戸にやってきたときに飲料水不足の対策としてつくられました。

 牛ヶ渕の風景は葛飾北斎や三代広重が描いていて、この「ダム」の風景が当時の人々にとって印象的なものであったことがうかがえます。

江戸時代に描かれた錦絵の葛飾北斎「くだんうしがふち」



 もちろん、法的な定義からしたらこれはダムとは呼べません。

 日本のダムの定義には、「河川管理者(国土交通大臣または都道府県知事)の許可受けて設置する構造物で、基礎地盤から堤の頂上までの高さが15m以上のもの」という条件があり、当然のことながら田安門の土手はこれを満たしていません。

 ただ地形図を見てみたところ、牛ヶ淵側の標高は4mほどで、田安門の土手は24mほどもあるので、もしかしたら「高さが15m以上」の条件は満たしているのかもしれません。

半蔵門の土手もダム

 半蔵門の土手もダムです。

半蔵門の土手(画像:大山顕)

 ここは千鳥ヶ淵の田安門と反対側の端です。現在は間に代官町通りがありますが、これは明治時代になってから作られたもので、本来、半蔵濠は千鳥ヶ淵の一部でした。

 この半蔵門の土手も水をせき止めていて、実際千鳥ヶ淵側(画像では左)と桜田門方面とでは水面の高さがずいぶん違います。

原宿駅はダムだった?

 この「内濠はダム」というのは、実は地形好きなどの間で有名な話です。さらに珍説としての「都心に最も近いダム」があります。それは先日新駅舎が供用開始された「原宿駅」です。

 明治神宮内には「清正の井(きよまさのいど)」という有名な湧き水の横井戸があり、そこから小川が流れ出ています。この流れは原宿駅とぶつかるあたりで地下に潜ります。そこからは竹下通りの南に平行して通っている「ブラームスの小径(こみち)」付近の下を流れているようです。

 この路地はかつての川跡らしく、地面を見て行くと一部だけコンクリートが横断している箇所があり、これはおそらく橋の跡ではないでしょうか。この流れはやがて渋谷川(現在のキャットストリート)に合流します。

原宿駅がダムに見える地形図(画像:大山顕)



 原宿駅の竹下口から竹下通りを見るとぐっと下り坂になっていますが、あの低さはこの川によるものです。

 原宿駅には竹下口の他に表参道改札の出口もありますが、ホーム階を1階とすると竹下口は地下1階、表参道改札の出口は2階というようにそれぞれの改札口でずいぶん高さが違います。それは、竹下口がかつての川の上にあるからなのです。地形図を見ると、原宿駅が川を渡っている様子がわかります。

ダムではないけどダムっぽい「感覚的ダム」

 こうして見ると、僕にはまるで明治神宮内の小川が原宿駅でせき止められているように感じられます。

 神宮内の南池はさしずめ「ダム湖」、駅ホームから見下ろす竹下通りはダムの天端(てんば。ダムや堤防の一番高い部分)から見下ろす下流の谷川、といったところです。

 もちろん機能的にも法的な定義からしても、原宿駅は内濠以上にとうていダムとは言えませんが、僕はこれを「感覚的ダム」としたいと思います。

 ちなみに「清正の井」の名の元になっている加藤清正は「土木の神様」とも呼ばれています。領地の熊本で治水に腕を振るった人物であり、その流れからしても、これはもう原宿駅を土木の王様である「ダム」としても良いのではないでしょうか。

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