なぜ私たちはイベントに夢中になるのか? 「コロナで中止」の今こそ考えよう

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なぜ私たちはイベントに夢中になるのか? 「コロナで中止」の今こそ考えよう

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テリー植田

イベントプロデューサー

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新型ウイルスの感染防止のためイベント自粛が相次ぎ、街なかに閉塞感がただようなか、人気イベントプロデューサーのテリー植田さんが自身の「イベント哲学」を展開。自粛時こそイベントについて考える良いチャンスだと言います。いったいなぜでしょうか。

日本全国で相次ぐイベント中止

 イベントプロデューサーのテリー植田です。

 私はイベントの企画やプロデュース、司会を本業としており、企業や自治体と連携したイベントの企画やファンコミュニティーのイベント、売り場の企画をやっています。

 現在、世界中が「コロナショック」に陥っています。感染防止策が明確でなく不安が続く中、新型コロナウイルス感染拡大の影響で「イベント中止・延期」が相次いでいるのは皆さんご承知だと思います。

イベントで人々が集まるイメージ(画像:写真AC)



 イベントを主催する会場や企業、団体、アーティスト、出演者、関係者は失う物が大きすぎて大打撃を受けています。

 ご存じの通り、スポーツは大相撲が無観客開催になり、選抜高校野球は中止、プロ野球の開幕も延期になりました。日本人アーティストだけでなく外国人アーティストの来日公演も次々とキャンセルになっています。

 エンターテインメントに関わるイベント会場、劇場だけでなく、飲食店、ホテル、交通機関、旅行会社など観光関係も経験のない打撃を受けています。

 東京では、宴会をともなう花見の自粛が要請され、東京オリンピックの開催も危ぶまれている状況です。コロナショックの長期化が懸念されている中でも、大阪市は花見の自粛要請はしないとの発表がありましたが、行き先不安な状況に変わりはありません。

今こそイベントの「意義」を考える

 こんなときだからこそイベントプロデューサーとして、イベントの「意義」を今一度考え見つめてみたいと思い、この記事を書いています。

イベントで人々が集まるイメージ(画像:写真AC)

 イベント中止が相次いで、これほど世の中で「イベント」が注目されたことはないかもしれません。

 ウイルス感染の場合、イベントの主催側もイベントに参加する側もいろんなリスクが発生します。イベントを開催しても中止にしても、タイミングによっては批判されます。

ブッキングすらできない状況が続く

 そもそもイベントをなぜ行うのか、なぜ人は集まるのか――。

 イベントと言っても幅が広いです。音楽ライブ、舞台、映画などのエンターテインメントに始まり、PRイベント、アーティスト個人のイベント、ビジネスセミナーなどたくさんあります。ちょっと「哲学」めいた話になってしまうかもしれませんが、考えていきたいと思います。

イベントで人々が集まるイメージ(画像:写真AC)



 まずここ最近の私の経験を話すと、2020年3月に企画した100人以上集まるトークイベントや立食形式の食イベントが全て中止になりました。

 講師として参加したセミナーは、マスクを着用して講義しました。少人数で実施されたセミナー会場は、参加者の席は離された状態で準備され、アルコール消毒液が教室入り口に用意され、手洗いを促し、換気にも注意していました。注意事項説明用の動画が作られていてセミナー前に流されていました。

 講師の私と参加者の距離も保たれていました。参加者の在籍している会社から外出自粛が周知されているところが多く、参加率は低かったようです。イベント開催となった場合でも、いつもとは違う状況での実施となっていました。

 3月のイベント中止にとどまらず、4月以降もキャンセルが続く可能性があります。この可能性は、もちろん私だけでなく、スポーツ、エンターテインメントに関わる全てのイベント関係者に降り注いできます。

 この行き先不透明なタイミングで、キャンセルになったイベントの穴埋めはできず、さらに先の日程にイベントを入れていくブッキングもできない状況が続いています。

ついには神経性ストレスに

 私事ですが、2週間ほどイベントの仕事がない状態が続いたとき、虚無感に突然襲われて、物忘れをするようになったのです。

 お風呂に2回入ったり、電車の座席にお茶を忘れたと思ったら手に持っていたり、飼っている猫のごはんを続けてあげていたり、飲食店でお会計を2回していたりと。

 今までにない自分に気づき、不安になり、脳神経外科に行って診断してもらいました。このときにわれに返り、異常な不安感が身体を走りました。このままイベントのできない身体になってしまうのではないかと――。

イベントで人々が集まるイメージ(画像:写真AC)

 診断によると脳自体には全く異常はなく、仕事が急になくなったことからくる一時的な神経性ストレスだと診断されました。

「いつものように仕事が戻ってきたら、物忘れはなくなりますよ」

と医者から言われました。理由がわかるとホッとするものです。

イベントは「人間が人間である確認作業」

 こんな不安感や虚無感の反対側にあるもの――。それは、きっと楽しみにしているイベントでのコミュニケーションから生まれる「安心感」や「多幸感」だと思います。

 アーティストや仲間との濃密な時間の共有。向かい合っての楽しい会話。握手やハグやハイタッチ。立食しながらの乾杯と会話。新しい出会い。新しい発見。イベントに参加した後の気持ちの変化。

 今、新型コロナ感染の影響によりイベント内で「やってはいけないとされているもの」がそのものです。

イベントで人々が集まるイメージ(画像:写真AC)



 リアルイベントというのは、イベントをやること自体が目的ではなく、大げさに言うとイベントを通して「人間が人間である確認作業」をやっているのだと思います。

 それは、SNS(会員制交流サイト)では味わえない、人間の情感の共有です。

 イベントは、出演者も参加者にとってもお互い愛情表現の場であり、愛情確認の場。その場のコミュニケーションにより相互理解が深まり、ポジティブな自己解放につながっていくのがイベントの醍醐味(だいごみ)です。

 友人と花見で久しぶりの再会と乾杯――。

 初めて見に行った、大好きなアーティストのライブで本人が登場した瞬間の興奮――。

 クラブで踊り狂い、ダンスミュージックの開放感を知った喜び――。

 音楽フェスで知らなかったアーティストのライブをたまたま見て、どハマりする体験――。

 美術館でピカソやダリ、ウォーホル、バスキアを初めて見たときの鳥肌感――。

 憧れの芸能人と書店でしゃべって握手し、写真を撮影してもらったサイン会――。

 本人の生トークを初体験し、想像以上の面白さに目覚めたトークライブ――。

 百貨店の駅弁イベントで最高にうまい弁当を見つけしまったときの「うまい」の一言――。

 初デートで行ったテーマパークで見たパレードの思い出――。

 喜びの記憶は、たいていイベントから生まれているのではないでしょうか。今回のコロナショックで中止になる数々のイベントから失われた喜びの数は、計り知れません。

収束後はもっとイベントを

 人間が人間らしく生きていくためには、好奇心と喜びが必要です。それを満たしてくれるイベントは、「不要不急」という世の中にとって都合の良い言葉には決して負けない「人間味」があると信じています。

イベントで人々が集まるイメージ(画像:写真AC)

 この非常事態が収まったあかつきには、日常が今までの日常に戻り、必ずまた非日常を楽しめるイベントができる日が来ます。

 今までよりもっともっとイベントを楽しめる日が、必ず絶対に。

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