餃子の肉汁からジュワッとにじむ、戦後日本の復活スタミナ物語【連載】アタマで食べる東京フード(2)

味ではなく「情報」として、モノではなく「物語」として、ハラではなくアタマで食べる物として――そう、まるでファッションのように次々と消費される流行の食べ物「ファッションフード」。その言葉の提唱者である食文化研究家の畑中三応子さんが、東京ファッションフードが持つ、懐かしい味の今を巡ります。


渋谷109周辺は、かつて餃子店がひしめいた

 1952(昭和27)年に「恋文横丁」(現在「109」が立っている三角地帯、渋谷最大の闇市マーケットだった)に移り、中国人の妻の名前から1字とった「珉珉羊肉館(ヤンロウカン)」と改名。

 水餃子と焼餃子、ジンギスカンを出したところ、焼餃子が大評判をとり、押すな押すなの大盛況になりました。当時の週刊誌は「主食によし、副食によし酒のさかなによし、しかも安価」なのが、人気の理由と解説しています。

 すると、近所の店がいっせいに餃子屋へ商売替えし、路地が入り込んだ迷路に飲食店と古着屋、古道具屋がひしめいていた恋文横丁は、たちまち専門店が軒を連ねる餃子の聖地に。横丁に一歩足を踏み入れると、餃子の匂いが立ちこめるほどだったそうです。

 最初の頃は「餃」を「鮫」に読み間違えて、サメの子が食べられるのかと言われたり、形からかしわ餅に例えられたりしましたが、渋谷から東京全域に、そして全国へと急激に広がって、大きなブームになりました。

 当時は、たんぱく質と脂肪分が少ない日本人の食生活改善が強くうたわれていた時期。肉あり、脂あり、ニンニクとニラたっぷりで、いかにもスタミナがつきそうな餃子は風潮にぴったり合って、家庭料理に取り入れられるまで、それほど時間はかかりませんでした。

独特の雰囲気のある店構え。創業者の自宅を改築した(画像:畑中三応子)

 赤坂の珉珉は恋文横丁時代の珉珉羊肉店へ修業に入り、のちに店舗が大和田マーケット(現在の渋谷マークシティ側)に引っ越し、高橋さんが亡きあとまでチーフをつとめた清水秀夫さんが、独立開業。のれん分けのかたちで店名を受け継ぎました。

皮の中から、肉汁と野菜汁がジュワッ


【地図】日本の餃子発祥店の直系! 「赤坂珉珉」の場所をチェックする

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