日本近代美術の父・岡倉天心と4月開催「ボストン美術館展」を結ぶ知られざる深い関係とは

2020年4月16日から東京都美術館で開催される「ボストン美術館展 芸術×力」。そんなボストン美術館に深く関わった岡倉天心について、フリーランスライターの小川裕夫さんが解説します。


絶えない日本美術界新興への思い

 文人である岡倉は、自身が美術作品を手掛ける美術家ではありませんでした。しかし、日本の美術振興のために初代校長に就任。以降、美術家などを養成するとともに美術品の収集などにも取り組みました。

 しかし、岡倉は女性問題を起こして辞任に追い込まれます。校長職を退いた岡倉でしたが、日本美術界を振興するという執念は絶やしませんでした。

1997年、茨城県の五浦の地に開館した天心記念五浦美術館(画像:小川裕夫)

 学校から近い谷中に転居し、そこで美術家の同志たちと日本美術院を旗揚げしたのです。日本美術院を設立した岡倉は、立場を変えて再び日本美術界を盛り上げることに取り組みました。

 岡倉は日本美術に並々ならぬ情熱を傾けていましたが、美術で生計を立てることは容易ではありません。すぐに日本美術院は資金難に陥ってしまいます。

日本の美意識や文化紹介のためにを作品を発表

 そうした危機に直面した岡倉は、茨城県の五浦海岸(いづらかいがん。現・北茨城市)に新天地を求めて転居。弟子たちも岡倉に付き従い、多くの画家・彫刻家が茨城県の五浦海岸で創作活動に打ち込みました。こうした岡倉の行動と情熱によって、日本美術界は新しい可能性を開いていきます。

 一方、フェノロサやボストン出身の美術研究家であるウィリアム・スタージス・ビゲローの紹介を受け、岡倉はボストン美術館の中国・日本美術部職員として勤務することになります。そのため、岡倉は日本とボストンを往復する日々がつづき、日本美術院の活動は疎遠になっていきました。

天心記念五浦美術館の場所(画像:(C)Google)

 しかし、岡倉は決して日本の美術界を振興するという思いを忘れませんでした。1903(明治36)年、アメリカで日本美術が高いレベルであることを広めるために、日本人の美意識を紹介する『茶の本』を英語で刊行します。岡倉は生粋の日本人ですが、『茶の本』は海外に日本人の美意識や文化を紹介することが目的だったため、同書は英語で執筆されました。

出版後、すぐにベストセラーに


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