電車の網棚に「新聞・雑誌」を置いていくおじさんを最近見ないワケ

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電車の網棚に「新聞・雑誌」を置いていくおじさんを最近見ないワケ

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昼間たかし

ルポライター、著作家

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訪日外国人から「公共の場所にゴミ箱が少ない街」と指摘される東京。なぜ街角のゴミ箱は減ったのでしょうか。また、なぜ電車の網棚に新聞・雑誌がなくなったのでしょうか。ルポライターの昼間たかしさんが解説します。

なぜゴミ箱が減ったのか

 コロナウイルスの影響で世の中の先行きは不透明ですが、オリンピック関連設備の改修は東京のあちこちで行われています。

 確かに、東京の街は次々ときれいに変わっています。しかし、きれいになった街に足りないものがあります。それは「ゴミ箱」です。

電車内にある網棚のイメージ(画像:写真AC)



 東京は、訪日外国人から「公共の場所にゴミ箱が少ない街」と指摘されています。実際に海外旅行をしてみると、その少なさがわかります。アジアやヨーロッパでは街角でゴミ箱と灰皿がよく設置されているのです。

 街角にゴミ箱が設置してあるからといって、街が清潔とは限らないのですが、とにかく海外ではよく設置されています。

 それでは、なぜ東京の公共の場所からゴミ箱は減ったのでしょうか。

ゴミ捨てマナーが変化した理由

 その理由として挙げられるのは、1995(平成7)年3月の地下鉄サリン事件です。

 この事件が発生するまで、日本人のゴミ捨てマナーは現在と大きく異なっていました。当時ゴミ箱は東京のあちこちにありましたが、ゴミ箱に捨てずに放置する人も少なくありませんでした。

ボックス席のイメージ(画像:写真AC)

 とりわけ象徴的だったのが電車内です。ボックス席では、座席の下にジュースの空き缶や弁当などがしばしば放置されていました。

電車内に存在した「究極のリサイクル」

 当時、「車両にゴミを放置する」という行為はモラルに欠けた行為ではなく、一種の「マナー」にまで昇華されていました。

 とりわけ、新聞や雑誌は読み終えたら網棚の上に放置するのが当たり前でした。そうすれば、次に読みたい人が拾って読んでまた放置するという、究極のリサイクルが存在していたのです。

街中のゴミ箱のイメージ(画像:写真AC)



 混雑する都心の電車の場合、読みたい雑誌を巡ってライバルは多いのですが、郊外へ向かうローカル線はぐっと拾いやすくなりました。

 筆者は1994(平成6)年に上京した当時、東武東上線の森林公園駅(埼玉県滑川町)の近くに住んでいたのですが、終電が近くなると乗客も少なく、新聞や雑誌は拾い放題でした。

 前述の地下鉄サリン事件以降、「網棚にゴミや雑誌を放置しないでください」というアナウンスが流れるようになり、雑誌が拾えなくなったときには事件への怒りはもちろんのこと、本当に残念な気持ちになったものです。

事件以降、大幅に減った新聞と雑誌のゴミ

 地下鉄サリン事件の直後から、あちこちでゴミ箱を撤去する動きが始まりました。警察からの協力要請もあったため、この動きは大きく拡大。

 帝都高速度交通営団(営団地下鉄)の駅では、全駅のゴミ箱を撤去。私鉄では京王電鉄と小田急電鉄も同様で、JRも東京駅や新宿駅といった主要駅の地下通路のゴミ箱が封鎖されました。

 現在の電車内では多くの人がスマートフォンを使っていますが、当時は新聞か雑誌を広げていました。そのような時代に、ゴミ箱を撤去し、ゴミの放置禁止に目を光らせるとどうなったのでしょうか。

電車内でスマートフォンを使うイメージ(画像:写真AC)

「朝日新聞」1995年5月28日付朝刊では、撤去から2か月ほどたった鉄道駅のゴミ箱の状況を取材しています。

 当時、新聞と雑誌は地下鉄のゴミの4分の1を占めていました。そのため清掃の際には、係の人が網棚から集めたゴミを必死で抱え、車両を移動しなければなりませんでした。記事によれば、営団地下鉄全駅で3月に69tあった新聞と雑誌は、4月になって16tに激減したといいます。

容易に根付かなかった「持ち帰る」マナー

 しかし、皆がいきなりゴミを持ち帰るようになり、マナーが向上したかといえば、そんなことはありませんでした。

 この記事は、逆に駅のトイレのゴミが増えたことを指摘しています。事件以前から家庭ゴミを駅のホームのゴミ箱に捨てる人は少なくありませんでしたが、駅がダメならと、トイレの個室に放置する人が増えたのです。

ゴミ捨てのマナーのイメージ(画像:写真AC)



 地下鉄サリン事件を契機として、国の行事や要人が来日する際、テロを警戒してゴミ箱の使用を禁止する慣習も始まりました。

 最初の例は、1995年11月に大阪で開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)です。このときには、大阪の鉄道駅ほぼすべてでゴミ箱と灰皿の使用が禁止されました。

 同時にゴミの持ち帰りを促すアナウンスも行われましたが、あちこちでゴミ箱の周囲に空き缶が並べられる光景が見られました。「ゴミ箱が使えないから、ゴミを持ち帰る」というマナーは、容易には根付かなかったのです。

そしてあらゆる公共空間から減った

 東京の鉄道駅から姿を消したゴミ箱は、数年のときを経て次第に復活していきました。しかし2000年代に入ると、鉄道駅はもとより、あらゆる公共空間からゴミ箱が減りました。

ゴミ箱のない街のイメージ(画像:写真AC)

 最大の理由はゴミ箱設置のコストです。前述のように地下鉄サリン事件以前、鉄道会社は放置される大量のゴミを撤去していました。公園などを管轄する行政も同様でした。

 ゴミ箱を撤去して「ゴミを持ち帰りましょう」とマナー向上を呼びかければ、コストを大幅に削減できるのではないか――いつの間にか、そのことに気づいたのでしょう。とりわけ、行政は各地で分煙が進み、街角の灰皿が撤去される過程で気づいたと考えられます。

 こうしてゴミ箱は街角から減ったわけですが、個人的には減りすぎだと思います。皆がゴミを持ち帰るようになり、マナーが向上しているかといえば、そうでもないような気がします。繁華街のコンビニのゴミ箱は、ひどいありさまになっていることもしばしばです。

 日本が今後、観光立国として成長するためには、目立たない部分での努力が求められます。やはり街角には、「適度な数」のゴミ箱が必要なのではないでしょうか。

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