駒込駅近くで香る――桜の王者「ソメイヨシノ」を生んだ植木職人たちの熱きプライド

日本のサクラと言ってすぐに思い浮かぶのが、ソメイヨシノです。そんなソメイヨシノをつくったのは、江戸時代、現在の駒込エリアにあった染井村の職人たちだと言われています。その背景について、フリーランスライターの小川裕夫さんが解説します。


江戸の園芸技術向上は「ヒマ」から生まれた?

 植木職人が活躍できたのは、当時の世相が影響しています。

 各地を治める大名たちは当時、幕府に江戸滞在を義務づけられていました。江戸に滞在中、大名たちはそれなりに仕事を命じられましたが、ヒマを持て余すことが多かったようです。そのため、各地の大名たちは暇つぶしに庭園づくりを始めました。

 やがて、江戸ではあちこちに庭園がつくられていきました。そうなると大名たちは、自分のつくった庭園の出来を自慢するようになります。こうして大名たちが庭園の出来栄えを競うようになったことが、園芸技術の向上につながります。

駒込駅前の染井吉野桜記念公園(画像:小川裕夫)

 庭園づくり競争は庶民の間にも及び、園芸ブームが起こります。庶民たちは大名のように広大な庭園をつくれるほどの土地を所有していませんが、江戸時代は鉢植えが普及したこともあって、路地裏などの小さなスペースでも庶民が気軽に園芸を楽しめるようになりました。

 寛政期に老中の松平定信はぜいたくを禁じましたが、庶民の数少ない楽しみだった園芸は容認されました。そうした背景もあり、身分を問わず花を楽しむ習慣や環境が整ったのです。

一大園芸都市になった江戸

 園芸が盛んになると、植木職人たちは花木の品種改良にも励みます。こうして、駒込一帯に形成された植木職人たちはますます活躍の場を広げます。

 植木職人がたくさん集まると、それらを束ねる棟梁(とうりょう)も出てきます。植木職人たちを束ねる棟梁は、大名から手厚い待遇を受け、そして力を持つようになりました。

目黒川に咲くソメイヨシノのイメージ(画像:写真AC)

 植木職人たちが大名のお墨付きを得ることで、江戸は一大園芸都市になったのです。特に駒込は園芸界をリードするエリアでした。

 江戸時代からサクラは高い人気を誇りましたが、駒込の植木職人たちはサクラだけを扱っていたわけではありません。時の為政者は花の好みにもうるさく、その為政者の気分で世間の花の人気は移ろいました。

ソメイヨシノからジンダイアケボノへ


【地図】駒込駅すぐ近く! ソメイヨシノ発祥の地「染井吉野桜記念公園」を確認する

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