上野公園に知る人ぞ知るマニアックな「前方後円墳」があった
2020年2月29日
知る!TOKYO上野といえば動物園や博物館、東京芸大などがまず頭に浮かびますが、実は前方後円墳もあるんです。フリーライターで古道研究家の荻窪圭さんが解説します。
墳頂には五條天神社が
実はここ、昔は「天神山」と呼ばれていました。ここの墳頂に「五條天神社」が祭られていたからです。

古墳というのは墳墓(ふんぼ)、つまりお墓ですからその上に神社を置くことが不思議と感じる人もいるようです。何百年もたちその被葬者も、あるいは何のための塚なのかも忘れられた頃、上野の台地のさらにひときわ高い場所に神様を祭ったと思うと、なんだかわかる気はします。
この五條天神社、調べてみるとなかなか興味深いのです。
まずは主祭神。一般に天神さまというと、「学問の神様」とされる菅原道真公を祭った神社と思われがちですが、五條天神社は違います。
菅原道真公も祭られてますが、それは天神というからには道真公も、ということで江戸時代に合祀(ごうし。二柱以上の神や霊を一神社に合わせ祭ること)されたもの。もともとは学問の神様ではなかったのですね。
京都の五條天神社との関係性
五條天神社の主祭神は、少彦名命(スクナビコナノカミ)と大己貴命(オオアナムチノミコト)。社伝によると日本武尊が東征のおりに祭ったもの……だそうですが、さすがにそれは古すぎでしょう。鎌倉~室町時代に京都の五條天神社を勧請(かんじょう)したものではないかと思います。
京都の五条(今の松原通り)沿いにある五條天神社と、名前と祭神が同じなのです。京都の五條天神社の主祭神は少彦名命で病気退散の神でした。上野の五條天神社も大己貴命と少彦名命を祭っており、医薬祖神。

京都の五條天神社を調べてみますと、創建は平安京遷都の794(延暦13)年なるも、五條天神社という名になったのは鎌倉時代といいます。
翻って、上野の五條天神社。室町時代の紀行文「北國紀行」に「武蔵野の東の坂井、忍岡」(上野はかつて忍岡と呼ばれていた)に「鎮座社五条天神」があったと書かれてます。1486(文明18)年のことですから、京都の五條天神社を勧請したとしたら、鎌倉から室町時代の間だろうなと想像できるわけです。
まあ細かいことなんですけど、そうやって歴史をさかのぼっていくのが好きなのですよ、わたし。

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