都会人が「住みたい街ランキング」を必要以上に気にする理由

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都会人が「住みたい街ランキング」を必要以上に気にする理由

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田中大介

日本女子大学人間社会学部准教授

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毎年発表されるやいなや大きな話題を呼ぶ「住みたい街ランキング」。そんなランキングは、なぜ人気の定番コンテンツになったのでしょうか。日本女子大学人間社会学部准教授の田中大介さんがその背景を読み解きます。

人気コンテンツとなる「街」

 インターネット上で、「住みたい街ランキング」やそれに類する情報を定期的に見かけるようになってずいぶんたちました。

「住みたい街」として長年人気の吉祥寺エリア(画像:写真AC)



「私の住んでいる街はランキングに入っているかな?」
「これから住もうと思っているあの街は何位だろう?」

 もちろん、自分が住む街が入っていればうれしいことでしょう。逆に、

「なぜあんな街がいつも上位に入っているのか?」
「なぜ私が住む街は入っていないのか?」

と疑問や不満をもつ人もいるはずです。

 最近では『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』(講談社)という漫画がドラマ化され、街というテーマやそのランキングが注目されています。

なぜ街の序列は「定番コンテンツ」となったのか

 しかし、なぜランキングという形で街に「序列」をつけるのでしょうか。

「住めば都」とはよくいったもので、大東建託(港区港南)の「住みたいまちランキング 2019」の第1位は「今住んでいる街」(31.6%)、第2位は「希望駅なし」(11.2%)と、両者を併せて半数近くを占める結果となっています。

 ランキングについてさまざまな専門家がコメントしており興味深いのですが、そもそも、このような街の序列はなぜ「定番コンテンツ」となったのでしょうか。

ランキングのイメージ(画像:写真AC)

 気づいている人も多いと思いますが、このようなランキングの大半は不動産関連企業が調査・発表しています。

 2004(平成16)年以降、長谷工アーベスト(港区芝)が発表したランキング前後から徐々に増え、リクルート住まいカンパニー(港区芝浦)の「SUUMO住みたい街ランキング」もよく参考にされています。その背景には不動産情報のウェブ化や、インターネット調査でランキングを作りやすくなったことがあります。

 各社のランキングの名称はさまざまで、対象地域の範囲、調査、集計、発表方法も多岐にわたりますが、今回は仮に「住みたい街ランキング」と総称します。

ランキング化という「イメージ価値」

 専門家やその地域に実際に住む人たちによる「住みやすい街ランキング」は近年増えてきたものの、依然として客観的な指標による序列というより、主観的な「イメージ」の集計と言えます。いわば、なんとなく――な人気投票といったところでしょうか。

 なぜそのようなイメージになったのかという解釈も興味深いですが、あくまでランキングは、不動産取引を活性化させ、街が「イメージされる価値」を上げる手段のひとつと考えたほうが賢明です。

不動産取引のイメージ(画像:写真AC)



 これまでマイナーだった地域がランクインすれば、知名度は当然上がります。売りたい物件の地域がランキングに載るよう、意図的に操作されているとは思いたくありませんが、ランキングは不動産開発やマーケティングデータとして使われているといって過言ではありません。

居住地の選択範囲が広がる現代

 不動産関連企業がそうした価値を利用するようになった背景には、居住地の選択肢が広がったことが関係しています。

 中川寛子氏の『東京格差』(ちくま新書)や橋本健二氏の『階級都市』(ちくま新書)で論じられているように、現代になるまで人びとは居住地をさほど自由に選べたわけではありません。

『東京格差』(中川寛子。2018年)と『階級都市』(橋本健二。2011年)(画像:筑摩書房)

 江戸時代であれば、武家地、町人地、寺社地、農村など身分格式ごとの住み分けがあり、近代以降は山の手と下町といった社会階層と結びついていました。

 高度経済成長期に大都市へ大量の人口が流入し、スプロール現象(都市が急速に発展し,周辺へ無秩序に市街地が広がる現象)が生じると、人びとの住む場所は郊外、特に東京では西側へ押し出されるようになります。

 階級・階層による住み分けや、スプロール現象によるやむにやまれぬ郊外居住にみられるように、居住地はそれほど自由に選べなかったのです。

 しかし現代になると人口増大が一段落し、都心回帰(再都市化)や東京の東側の開発が進みます。

 都心や下町にタワーマンションが開発されて住み分けは曖昧になり、また少子化・未婚化で長距離通勤が前提の郊外居住以外の選択肢が見えてくると、居住地の選択範囲は相対的に広がります。

 そのような選択肢が広がれば、居住地の判断材料を求めて、「街のイメージ」を反映したランキングへの需要が出てくるのは当然の流れと言ってよいでしょう。

ランキング自体がコンテンツ化

 そもそも、「住みたい街ランキング」を当てにして居住地を決める人はどれほどいるのでしょうか。

 居住地の選択範囲が広がったとはいえ、自由きままに選べるわけではありません。結局のところ、収入や地価、アクセス、利便性で決まることが多く、階層ごとの住み分けも継続されています。

「住みたい街」として長年人気の恵比寿エリア(画像:写真AC)



 前述のように、現実は「今住んでいる街」が圧倒的な1位であり、他の街のランキングは「へぇ~」という程度のトリビアと言えます。つまり「住みたい街ランキング」は不動産情報というよりも、ランキング自体がコンテンツ化しているのです。

 では、そのように「街を見比べる」という視線はどのように表れてきたのでしょうか。

街のブランディングに慣れてきた現代人

 例えば1970~80年代の都市情報誌『シティロード』や『ぴあ』を草分けとして、1990年代以降、『散歩の達人』や『TOKYOウォーカー』などが流行。そうした雑誌メディアを片手に「街歩き」をすることが、ひとつの娯楽となりました。

 さらに1990年代後半、『出没!アド街ック天国』(テレビ東京系)が街紹介番組として人気を博したことを契機に、2000年代後半以降、『ブラタモリ』や『モヤモヤさまぁ~ず』を始めとする散歩番組が多く放送されています。

 これらのテレビ番組によって、もはや街歩きをしなくても「街を見比べる」という楽しみが定着しています。

1995年4月から放送されている『出没!アド街ック天国』のウェブサイト(画像:テレビ東京)

 特に『出没!アド街ック天国』は象徴的です。司会者は「あなたの街の宣伝(本)部長」を名乗ることによって、街のプロモーションの旗振り役を自認しています。

 もちろん、これらのテレビ番組は街の魅力を発掘することが目的ですから、街に序列をつける「浅ましさ」とはかけ離れています。一方、マスメディアを通して、街それぞれを見比べ、プロモーション・ブランディングするという視線に私たちが慣れてきたことにも気づかされます。

ランキングが無くならないワケ

 インターネットによって「情報過多」になった現代社会において、私たちは情報収集・整理に手間をかける代わりに、情報をフィルタリングしてくれるランキングに頼りがちです。

 そもそも検索サイトを経由した情報は、特定のアルゴリズム(正解を引き出すための処理手順)を通して表示されるため、現代社会はあらゆる物事がランキング化されているとも言え、その点では「住みたい街ランキング」もインターネットの申し子と言えます。

インターネット社会のイメージ(画像:写真AC)



 大規模なランキングの調査・発表対象は、東京などの大都市圏が中心です。このようなランキングのまん延は、多くの人びとが「住みたい」と思わなければ成立しないという意味で、東京一極集中の現れとも言えそうです。

 こうなると、「住みたい街ランキング」は多くの人にとってトリビアでしかないため、いっそのこと止めてしまえばいいのにーーと思います。

 しかしこうしたランキングが無くならないのは、情報過多のメディア環境やグローバルな都市間競争・地域格差に対して、人びとが焦り、不安になっている表れではないのでしょうか。

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