かつては武蔵国の中心 歴史の香り漂う「府中市」の重層的魅力とは

  • おでかけ
かつては武蔵国の中心 歴史の香り漂う「府中市」の重層的魅力とは

\ この記事を書いた人 /

鳴海侑のプロフィール画像

鳴海侑

まち探訪家

ライターページへ

重層的な色合いを持つそれぞれのまち。そんななかでも府中市は、古いものから新しいものまでさまざまな時代の痕跡が残っているまちです。まち探訪家の鳴海行人さんが解説します。

まちは「上書きされていくもの」

 まちというのは人々の営みの上に成り立ち、期間の長短はあれど歴史を持っているものです。

 しかし建築物をはじめとして、まちは上書きされていくため、なかなか歴史と新しさを同時に感じられるところは少ないといえます。また新しさを感じても、「これは何年代」と年輪のようなものを見る機会はなかなかないといえます。

府中駅の外観(画像:写真AC)



 今回は、そんな歴史の年輪のようなものを見るまちあるきとして、多摩エリアにある府中市を紹介します。

府中駅前にある三つの再開発ビル

 府中市は、京王線の府中駅が玄関口。新宿からアクセスする際は、特急で約20分です。

 駅は高架構造になっており、ホームは3階、改札口は2階にあります。駅前にはペデストリアンデッキが伸び、三つの再開発ビルに接続しています。

 どの建物も商店街を再開発したものです。駅の南すぐにあるのが2017年に開業した「ル・シーニュ」、その東にあるのが2005(平成17)年に開業した「くるる」、「ル・シーニュ」の南にあるのが1996(平成8)年に開業した「フォーリス」(以上、府中市宮町)です。

ル・シーニュ、くるる、フォーリスの位置関係(画像:(C)Google)

 さて、一見するとどれも同じ再開発ビルと感じてしまいますが、実はこの10年おきに建てられた再開発ビルは、年代ごとの特徴を持っているのです。

1990年代の再開発ビルは百貨店を意識

 駅から離れた場所で最初にできた「フォーリス」は元々、伊勢丹府中店(2019年9月30日閉業)を中心として作られた複合ビルで、百貨店と専門店という商業床を中心にオフィス床が少し付いているという建物でした。

フォーリスの外観(画像:(C)Google)



 1990年代に中心市街地に作られた大規模な再開発ビルは、府中、ひいては東京に限らず、百貨店を核として計画されていました。そして建物の名前は少し洗練されたイメージや上質なイメージを感じられるものが多くなっています。

 フォーリスはこうした再開発の流れで作られた再開発ビルでした。そのため名前から洗練されたイメージが浮かびますし、商業施設部分では百貨店の持つ高級感を意識した内装や照明が用いられています。

2000年代以降開業の再開発ビルの特徴

 次に建てられた「くるる」はシネマコンプレックスと大型専門店、そして飲食店を中心に構成されています。こうしたテナント構成には2000年代における再開発ビルの特徴が見えます。

くるるの外観(画像:(C)Google)

 2000年代は、バブル景気の後にやってきた長い不況により百貨店業態は縮小し、専門店が台頭しました。そのため大型専門店を中心にショッピングセンターを作るのが大型再開発ビルの流れとなっていたのです。

 そして、人々により親しまれやすいように平仮名をもちいた施設名もはやります。「くるる」もまさにそうした時代の流れの中で生まれた再開発ビルです。

再開発ビルに「ある機能」が求められるようになった2010年代

 では、2017年に開業した「ル・シーニュ」ではどういった特徴があるのでしょうか。

 2010年代の都市中心部再開発において、大型専門店よりもカフェや公共施設をはじめとしたコミュニティーの機能が重視されるようになります。ル・シーニュも例外ではなく、1階にはふたつの全国チェーンのカフェが入居しているほか、府中の森芸術劇場の分館や府中市市民活動センタープラッツといった公共施設も中に入っています。

ル・シーニュの外観(画像:(C)Google)



 そして都市のコンパクト化が意識される中、都市中心部の再開発ビルでは居住機能も持たせるようになります。ル・シーニュでも7階から15階は「プラウド府中ステーションアリーナ」として売り出され、約140戸の住戸が作られました。また、名前も再び外国語の名前が用いられ、先進的なイメージを持たせるようになっています。

 このように、同じ再開発ビルとはいえども年輪のようなものがあり、作られた年代によって特徴が異なるのです。これは府中以外の再開発ビルでも見られる傾向です。少し高度なまちの楽しみ方ですが、再開発ビルを見ながら作られた年代を予想してみるのも一興です。

府中で感じるさまざまな時代の歴史

 さて、府中には時代の年輪を感じるものがまだあります。再開発ビルの立ち並ぶエリアの西に走っているのは大國魂神社(おおくにたまじんじゃ。府中市宮町)の参道です。

 大國魂神社は111(景行天皇41)年、景行天皇の時代に建てられたものとされ、大國魂大神(スサノオノミコト)の子孫、大國魂大神(オオクニタマノオオカミ)をまつっています。武蔵国の守り神として厄よけ、厄払い、縁結びなどをつかさどる神として信仰され、多くの人が参詣する神社です。

大國魂神社の外観(画像:写真AC)

 また武蔵国の国府(国ごとに置かれた地方行政府)もこのあたりにおかれ、大國魂神社の東側に国府跡地の一部が史跡として整備されています。

さまざまな時代の痕跡が残るまち

 大國魂神社の北を横切るのは旧甲州街道です。府中は、江戸時代には甲州街道の宿場町でした。大國魂神社の西、府中市役所前交差点に面したところには江戸時代に利用されていた高札場(法令を書いた木の札が掲示された施設)が、宿場町の歴史も現在に伝えられて保存されています。

府中の高札場跡(画像:(C)Google)

 こうしたまちの中で歴史や時代を感じられる府中。いずれのスポットも駅から1km圏内にあります。府中の中心部には宝探しのように時代や歴史を伝えるさまざまなものがあるのです。

 東京周辺を探してみても、こうした古いものから新しいものまでさまざまな時代の痕跡が残っている場所はなく、とりわけ府中のように近接して集まっているところはまれです。

 まちにおける歴史の流れを感じてみたい人はぜひ、府中を歩いてみてはいかがでしょうか。

関連記事