駅のホームから千葉県が丸見え 東京の東の端っこ「江戸川駅」周辺を歩く

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駅のホームから千葉県が丸見え 東京の東の端っこ「江戸川駅」周辺を歩く

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カベルナリア吉田

紀行ライター、ビジネスホテル朝食評論家

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1986年に篠崎駅(江戸川区)が開業するまで、都内最東端の駅だった江戸川駅を、紀行ライターのカベルナリア吉田さんが歩きます。

川の向こうは千葉県市川市

 ホームの端っこに立つと、近くに川が見えます。河川敷で遊ぶ子どもたち。ランニングをする人や、犬の散歩をする人もいます。川の向こうにはビルが並んでいます。

 流れる川は江戸川。そして川の向こうは千葉県の市川市です。

小岩の関所の案内板が江戸川河川敷に立つ(画像:カベルナリア吉田)



 なんということでしょう。僕は今、東京の鉄道駅のホームに立っているのに、すぐそこに千葉県が見えているのです。東京の東の端っこに来ました。ここは京成線の江戸川駅です。

普通列車しか止まらないのに開業100年以上

 京成線の上野駅から、下りの普通電車に乗ります。電車はひと駅ずつ止まりながら、ゆっくりと進んでいきます。

 ひとつ手前の京成小岩駅まで、やっと来ました。あとひと駅で到着、と思ったらここで特急電車の通過待ち合わせ。電車はしばし停車し、ひと駅がなかなか進みません。

 やっと江戸川駅に着きましたが、普通列車しか止まらない駅のせいか、降りる人はあまりいません。一応、東京23区内にいるはずなんだけどな……と思ったりもします。

江戸川駅の入り口は、昼でも薄暗い高架下(画像:カベルナリア吉田)

 そんな江戸川駅ですが、開業は1912(大正元)年、100年以上の歴史があります。

 江戸時代、駅周辺は「伊予田村」といい、開業時の駅名は伊予田駅。その2年後の1914(大正3)年に「江戸川駅」に変わり、1986(昭和61)年に都営地下鉄の篠崎駅が開業するまで、都内最東端の駅でした。

対岸の千葉県のほうが都会に見える不思議

 小さな改札口を抜け、外に出ます。駅前にロータリーなどはなく、狭い道が横切り、街灯に「京成江戸川商栄会」の看板が掛かっています。

「←小岩菖蒲(しょうぶ)園」の案内看板に従い路地を進むと、土手に突き当たります。土手の斜面に延びる階段を上ると、そこはホームからも見えた江戸川の河川敷。川向こうの千葉県に建つビルは、和洋女子大ほか学校です。一方で川の手前の東京側はマンションなども特になく、対岸の千葉県のほうが都会に見えます。

江戸川河川敷。ビルが建つ場所は千葉県(画像:カベルナリア吉田)



 ちなみに小岩菖蒲園は2019年の台風19号で氾濫被害に遭い、復興工事中。通常は5~6月に、5万本のハナショウブが咲き乱れるそうです。1日も早い復興を願いたいですね。

 河川敷に「小岩市川関所跡、渡し跡」の看板が。江戸時代は江戸に不審者が侵入しないよう、あえて江戸川に橋は架かっていませんでした。代わりに関所を置いて人の出入りを監視し、行き来する人は渡し船に乗ったそうです。

昔は関所と旅館があった

 江戸川の風景をしばし眺め、駅前の商栄会の道に戻ります。少し進むと旧伊予田村の鎮守だった北野神社があり、そして御番所町跡の案内板も。

小さいけど風格漂う北野神社(画像:カベルナリア吉田)

 いま歩いてきた商栄会の道は、江戸時代は佐倉道という街道でした。江戸川を超えて下総に至る道で、歩道もなく狭いのですが、昔からある由緒正しい道なんですね。

 関所のことを「御番所」とも言ったため、付近は御番所町と呼ばれたそうです。そして関所通過を待つ人のために旅館もあり、つい数年前まで営業していたとか。この簡素な駅前に旅館が? 今もあったら、泊まってみたかったですね。

 ほかにも街道沿いには旅籠(はたご)にすし屋、豆腐屋に掛け茶屋が並び、にぎわったようです。ただし今は、商栄会といっても店はまばら――。小さな居酒屋と中華料理屋などが、ポツポツとある程度です。それでも「夜に1杯飲む店」を物色しつつ、商栄会を北に進んでみます。

まさかの古代遺跡発掘?

 喫茶店なのに、本日のランチが「大盛り刺身定食」。小さな中華料理屋がもう1軒、そば屋も1軒、豆腐屋も(ひさしに「大正時代創業」の文字が!)。しかしその先にもう店はなく、民家が並ぶだけ。街灯の「商栄会」の看板だけが、寂し気に続きます。

 いい加減歩き「駅に戻ろうかな」と思ったとき、その道に行き当たりました。西に延びる細い道に「上小岩遺跡通り」の案内板が。遺跡?

上小岩遺跡通り。近辺に3世紀から人が住んでいた(画像:カベルナリア吉田)



 なんと道沿いの一角で、3世紀の古墳時代前期の土器が発見されたそうです。そこから推測して、付近にはその頃から集落が造られ、人が住んでいたと推測されています。3世紀から!? 驚きつつ遺跡通りを進みます。

 とはいっても、その辺に遺跡が転がっているわけでもなく、道沿いは至って普通の住宅街。やっぱり駅に戻ろうかな……と思い始めた直後、住宅街の隙間に延びる路地に出ました。

遺跡通りを進んで京成小岩駅前着

 水路が延び「上小岩親水緑道」の看板が立っています。そして緑道にいくつかあるマンホールのふたに、土器の絵が!

土器模様のマンホールを探してみよう(画像:カベルナリア吉田)

 まあそれだけですが、やっと遺跡通りらしいものに出合えて、ちょっとうれしかったです。マンホールファンは、ぜひ出掛けてほしいですね。

 さらに遺跡通りを進むと、さっき特急通過を待った京成小岩駅前に出ました。JR小岩駅ならまだしも、なかなか行かないですよね京成小岩駅前。

インバウンドらしき人たちもチラホラ

 駅前は「京成小岩商栄会」で、街灯に「甲和の里」の文字が。

 奈良時代に正倉院に所蔵された文書に「下総国葛飾郡 甲和里」の記述があり、それが転じて「小岩」になったという説があるそうです。3世紀の土器に、本当に周辺は歴史が古いんですね。

京成小岩駅前商店会に「甲和の里」の文字(画像:カベルナリア吉田)

 商栄会には居酒屋が数軒と、意外にもシティーホテルがあり、観光者らしき外国人がけっこう歩いています。目の前の小岩駅から京成電車に乗れば、上野動物園も成田空港も1本で行けるし、確かに便利かもしれませんね。

駅前居酒屋で気分は異邦人

 そんな京成小岩駅前で1杯と思いましたが、やはり江戸川駅前で飲もうと思い、電車に乗ってひと駅戻りました。

 夕暮れの江戸川駅前に降り立つと、居酒屋の明かりがともっています。

 ……というわけで入ってみましたが、さすがにお客は地元の人ばかり。都内でも小さな駅前の居酒屋は、初めて訪ねる外国のようで「異邦人感」を味わいました。

夜7時の江戸川駅前(画像:カベルナリア吉田)



 といっても店の人は親切で、カウンター席の地元オジさんたちも陽気。店内のテレビで相撲が流れていて、炎鵬が勝つと一緒に「ワーッ!」と叫び拍手をしていました。

 2杯だけ飲んで外に出ると、夜7時前なのに街灯がポツポツともるだけで暗かったです。江戸川駅のホームに行くと、対岸の千葉県のほうが明るく見えました。

 歴史も深く、なかなか手ごわい東京の端っこ駅前。でも春になれば、江戸川河川敷はきっと気分爽快でしょう。あなたもブラリと出掛けてみませんか?

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