【追悼】偉大なる名将・野村克也さんが生前愛した店を振り返る

2月11日に亡くなった日本野球界の重鎮・野村克也が生前行きつけにしていた都内の店などについて、法政大学大学院教授の増淵敏之さんが解説します。


東京にある野村さんが愛した店の数々

 最愛の妻だった沙知代夫人と出会ったのは、1970(昭和45)年です。

 場所は野村さんの宿泊先だった原宿に近い、行きつけの中華料理屋だったといいます。おそらく「南国酒家」(渋谷区神宮前)でしょうか。いろいろ調べてみましたが、具体的な店の名前にはたどり着けませんでした。

野村さんが愛した市ヶ谷のすし屋「鮨太鼓」の外観(画像:(C)Google)

 そのほかにも行きつけの店は、東京に幾つかあったようです。市ヶ谷のすし屋「鮨太鼓」(新宿区市谷砂土原町)、上野の「翠鳳 上野本店」(台東区東上野)など。また水道橋の「後楽園飯店」(文京区後楽)では、予約しなければ食べられない「野村そば」なるものもあるようです。

ホテルニューオータニを愛した野村さん

 監督を辞して解説者として活躍していた野村さんですが、晩年はホテルニューオータニ(千代田区紀尾井町)で夫人と夕食を取るのが常だったそうです。

 ホテルニューオータニは、元大相撲力士で実業家の大谷米太郎が1963(昭和38)に創業した、帝国ホテル(千代田区内幸町)、ホテルオークラ東京(現・ジ・オークラ・トーキョー。港区虎ノ門)と並ぶ日本を代表するホテルのひとつとして知られています。

 ホテルニューオータニと言えば、作家の森村誠一が作家になる前に勤めていたことは有名な話です。彼はホテルニューオータニ以前に勤めていた都市センターホテル(同区平河町)時代に、数多くの作家や著名人に会ったといいます。

千代田区紀尾井町にある「ホテルニューオータニ」の外観(画像:(C)Google)

 ホテルニューオータニは彼の代表作『人間の証明』(1976年)の舞台になり、最上部の「回る展望台レストラン」のシルエットが物語の重要な鍵となっています。

 ちなみに筆者は学生時代、ホテルオークラ東京でボーイのアルバイトをやっており、世界的指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤン、ミュージシャンのジョン・レノン、ハリウッドスターのスティーブ・マックイーン、数多くの作家を見かけた記憶があります。

朝鮮特需で財を成した大谷米太郎


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