再開発で消えた昭和の面影 西新宿「けやき橋通り商店街」を訪ねて

  • おでかけ
再開発で消えた昭和の面影 西新宿「けやき橋通り商店街」を訪ねて

\ この記事を書いた人 /

下関マグロのプロフィール画像

下関マグロ

サンポマスター、食べ歩き評論家

ライターページへ

かつて淀橋エリアに「けやき橋通り商店街」という昭和の香りを残した商店街がありました。サンポマスターの下関マグロさんが解説します。

73年前になくなった淀橋区という名前

 筆者(下関マグロ。サンポマスター)が東京の散歩記事を書くようになったのは、2005(平成17)年の暮れでした。最初は右も左もわからないまま、「東京の散歩といえば浅草や神楽坂だろう」と記事を書いていました。

 2006年5月。ウェブサイトの散歩記事の担当者だったNくんが興奮気味に、「ヨドバシカメラって、淀(よど)橋という地名からきているそうですね、淀橋を歩きませんか」と言ってきました。ああ、そうだ。昔は淀橋区という区があったのですね。

 淀橋区は、1932(昭和7)年から新宿区ができる1947(昭和22)年まで存在していました。ちなみに新宿区は淀橋区、四谷区、牛込区が合併してできたといいます。

淀橋の命名者は戸幕府の第三代将軍

 散歩にでかけた2006年5月4日。かつて淀橋区だった北新宿が再開発でその姿を変えている時期だったので、中野から新宿まで歩いて記事を書くことにしました。

 青梅街道を中野方面から歩くと神田川があり、そこには淀橋という橋がかかっています。この橋を渡ると新宿区になります。

昭和の雰囲気を色濃く残していた「けやき橋通り商店街」。2006年5月撮影(画像:下関マグロ)



 淀橋のすぐそばに、新宿区の「道とみどりの課」(当時)が建てた説明板があります。それによれば、淀橋という名前は江戸幕府の第3代将軍・徳川家光が命名したと言われているそうです。それ以前、この橋は「姿見(すがたみ)ずの橋」、あるいは「いとま乞いの橋」と呼ばれていました。

「姿見ずの橋」の意味

 かつてこのあたりに、「中野長者」といわれた鈴木九郎という人がいたそうです。彼は自分の財産を隠そうとに地中に埋めましたが、手伝ってくれた人を殺して神田川に投げ込んだといいます。そのため、この九郎と橋を渡るときに一緒に見えた人が、帰るときは姿が見えなかったため、「姿見ずの橋」という名前がついたそうです。

神田川にかかる淀橋。橋の名前の由来は諸説あるが、三代将軍家光が命名したといわれている。2014年4月撮影(画像:下関マグロ)



 江戸時代のはじめ、この地をタカ狩りのために訪れた将軍家光はこの話を聞き、「不吉な話で良くない、景色が淀川を思い出させるので、淀橋と改めるよう」に命じ、これ以降、その名が定まったそうです。なお淀川とは、琵琶湖から流れ出て京都から大阪湾に注ぐ川です。

十二社通りの西側に「けやき橋通り商店街」

 淀橋を渡ると、かつての淀橋区のエリアです。青梅街道の北側が北新宿、南側が西新宿です。

 かつて北新宿は柏木という地名で、西新宿は角筈(つのはず)という地名でした。2006年5月の柏木地区は、すでに再開発が進んでいました。路地が消え、新しく太い道もつくられています。

 立ち退きは進んでいるようで、取り壊しを待つ飲食店が人けもなく立ち並んでいて、半ばゴーストタウンのようでした。

 西新宿地域は十二社(じゅうにそう)通りより東側、つまり新宿駅方向はかなり高層ビルが立ち並び、再開発が進んでいました。

赤く縁どられた部分が十二社通り(画像:(C)Google)

 しかし、十二社通りより西側はまだ再開発は進んでおらず、昔ながらの「けやき橋通り商店街」などはまだ残っていました。けやき橋通り商店街は、十二社通りから神田川までの短い商店街でしたが、歴史を感じる商店街でもありました。

玩具店で見つけた「マクロス」のプラモデル

 昔ながらの玩具店があったので入ってみたのですが、当時20代後半だった担当のNくんが興奮気味に、「僕が子どもの頃にはやっていたものがありますよ」と言いながら店の奥からホコリをかぶった商品を取り出していました。

けやき橋通り商店街にあった玩具店。2006年5月撮影(画像:下関マグロ)



 僕にはよくわかりませんでしたが、「マクロス」というアニメシリーズのプラモデルのようで、Nくんはふたつほど購入していました。

白いフェンスで囲まれた商店街の道

 そんな散歩から、7年が経過した2013年7月。いよいよ、けやき橋通り商店街が再開発で消滅するというのを聞いて、出掛けてみました。商店街の道はまだ残っていましたが、商店などは白いフェンスで囲まれていました。

まだ店舗は残っていたが、人けはなかった。2013年8月撮影(画像:下関マグロ)

「けやき坂商店街」と書かれていた入り口のゲートはまだ残っていて、そこには時計が取り付けられているのですが、午前9時を過ぎたところで、止まったままになっていました。

 2013年の7月から8月にかけて、何度かこのあたりに足を運びましたが、建物の取り壊しはどんどん進んでいました。

 そして2017年7月に完成したのが、ザ・パークハウス西新宿タワー60です。ザ・パークハウス西新宿タワー60が建てられてすぐにこの場所に行ってみましたが、かつてあった道がどのあたりなのかまったくわかりませんでした。まあ、それが再開発というものですね。

石碑に刻まれた「けやき橋通り商店街」

 先日、再びこの場所をたずねたら「旧けやき橋通り商店街」と書かれた石碑が、タワーの裏側にある遊歩道に設置してありました。

かつて、けやき橋通り商店街のゲートがあった付近か。右はザ・パークハウス西新宿タワー60。2020年2月撮影(画像:下関マグロ)



 この石碑の中にだけ「けやき橋通り商店街」は残っていました。紹介されている写真は神田川側にあったゲートです。

 そして、驚いたことに、ザ・パークハウス西新宿タワー60から青梅街道の敷地も再開発の工事が行われていました。いよいよこのかいわいも違った街になっていきますね。

関連記事