きっかけはCIAとN響だった? 今ではおなじみ「和風スパゲティ」の誕生秘話【連載】アタマで食べる東京フード(1)

味ではなく「情報」として、モノではなく「物語」として、ハラではなくアタマで食べる物として――そう、まるでファッションのように次々と消費される流行の食べ物「ファッションフード」。その言葉の提唱者である食文化研究家の畑中三応子さんが、東京ファッションフードが持つ、懐かしい味の今を巡ります。


N響団員のリクエストがきっかけ

 最初の店があったのは田村町(現在の西新橋)で、その当時からゆでたてのアルデンテで出していましたが、味つけはアメリカ式のトマトソースでした。スパゲティを食べられる店は少なく、ましてや専門店は唯一だったので、東京中の外国人が集まったそうです。

 和風スパゲティが生まれるきっかけは、1963(昭和38)年に渋谷に場所を移し、リニューアルオープンしたこと。今の東急ハンズの坂の向かい、カウンター15席だけの小さな店でした。

東急ハンズの向かいの坂上、ライブハウスのある場所に最初の「壁の穴」があった(画像:畑中三応子)

 外国人客一色だった頃とは違い、場所柄、近くのNHK関係者や芸能人、NHK交響楽団(N響)員などが集まり、成松は彼らのリクエストや好物に合わせて、さまざまなスパゲティの新メニューを開発するようになったのです。

 あるとき、N響の首席ホルン奏者が持参したヨーロッパみやげのキャビアで作ってみたところ、驚きのおいしさでした。キャビアは高価すぎるため、かわりになる材料をいろいろ試し、たどり着いたのが、同じ魚卵のたらこ。日本ではスパゲティよりマカロニの普及のほうが早く、スパゲティはやっと知られ始めたばかり。そんな時期に編み出した才には、脱帽します。

隠し味に昆布の粉を使用

 たらこが突破口になり、「ご飯に合う材料はスパゲティにも合う」という確信を持って、納豆、しょうゆとしょうがで煮たアサリ、シイタケ、ウニ等々、次々と和風スパゲティの独創的メニューを開発していきました。のり、青じそ(大葉)をトッピングしたのも、最初です。

現在の「壁の穴」渋谷本店は道玄坂小路にある。隣は1955年創業の台湾料理店「麗郷」(画像:畑中三応子)

 なによりすごいと思うのは、昆布の粉を隠し味に入れて、スパゲティと和風の具との調和を高めたことです。今でこそ、昆布だしを愛用するフレンチのシェフは珍しくありませんが、60年前に昆布のうま味を材料と材料のつなぎ役として活用するのは、とんでもなく画期的なことでした。

老舗はいまだ「和風スパゲティ専門」を名乗らず


【地図】和風スパゲティの「元祖」。壁の穴「渋谷本店」と洋麺屋五右衛門「渋谷本店」の場所を見る

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