日本橋の外れにひっそり 都内で唯一ドクロを祭る神社「高尾稲荷神社」とは
2020年1月28日
お出かけ日本橋の南西、隅田川が流れる日本橋箱崎町にある高尾稲荷神社。いったいどのようなっものを祭っている神社なのでしょうか。都市探検家の黒沢永紀さんが解説します。
下野国から江戸の妓楼へ
そもそも、高尾大夫とは、どういう人物だったのでしょうか。
下野国(しもつけのくに)の塩原村(現在の塩原温泉付近)で生まれた高尾大夫は、その名を「みよ」といい、生家は百姓だったといいます。幼い頃に両親を亡くし、親戚筋に引き取られてからは、朝から晩まで葉っぱの跡が付いた川底の石を「葉っぱ石」といって売るなどして、食いぶちを稼いでいました。

ある日、温泉宿へ売りに行くと、羽振りの良さそうな夫婦が滞在していたので、葉っぱ石を買ってもらおうとお願いしました。この夫婦こそ、後にみよを高尾太夫に育てる、妓楼(ぎろう)「三浦屋」の四郎左衛門とその妻のお秀だったのです。
四郎左衛門はみよの器量の良さにほれ込み、孤児の事情を聞いて、養女の話を持ちかけます。親戚筋もふたつ返事で承諾し、みよは四郎左衛門夫婦とともに江戸へ行くことになりました。
吉原がまだ日本橋の人形町かいわいにあった時代、三浦屋はその中でも最も名の知れた大妓楼でした。みよは、三浦屋で芸事から学問までさまざまな教育を受けることになりますが、これは、みよを遊女にするためではなく、三浦屋を切り盛りするおかみになってもらうためだったといわれています。

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