90年代最強だった「自由が丘」の自由じゃない現在

長らくハイソなイメージのある自由が丘ですが、近年はそうでもないようです。都内のエリア情報に詳しいルポライターの昼間たかしさんが解説します。


自由が丘の前は「自由ヶ丘」だった

 このような人たちが渋谷には行かないのは、単に渋谷を見下しているからではありません。「人が多すぎるから」というのがその理由でした。昨今のいきなりSNSを使って100万円を配り始める人たちとは違い、心に余裕があるお金持ちが集まるのが自由が丘だったのです。そういうわけで、自由が丘にはお金持ち向けのさまざまな店が乱立するようになりました。

 自由が丘は、東急電鉄の前身である東京横浜電鉄の駅が開通した1927(昭和2)年から始まった街です。それまでの自由が丘は、荏原(えばら)郡碑衾町(ひぶすままち)大字衾字谷畑中(やばたなか)という田園地帯でした。ちなみにその頃の風景は、現在の熊野神社(自由が丘1)の境内からしのぶことができます。

1919(大正8)年9月に発行された現在の自由が丘駅周辺の地図(画像:時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕)

 鉄道の開通に併せて開設された駅は、九品仏前駅と命名されました。

 そして1929(昭和4)年、新たに目黒蒲田電鉄が現在の大井町線である二子玉川線を開通すると、九品仏の門前に新駅ができたために、九品仏前駅は衾(ふすま)駅に改称することとなりました。

 ところが、もっと通りのよい駅名を求める声が強くなったため、近くにあった自由主義教育を掲げる学校「自由ヶ丘学園」にちなんで、自由ヶ丘駅となったのです。このときの住民たちの未来を見通す目は優れていました。もしも衾駅だったら、その後の発展はなかったでしょう。

 そして、宅地化が進むとともに周囲の農村部も地名を改めることになり、こちらも1933(昭和8)年に大字自由ヶ丘に。その後1965(昭和40)年に、「自由が丘」に改称されたことで1966年、駅名も併せて自由が丘となりました。

「なんとなくしゃれた、甘いムード」があった60年代


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