史上最も有名な「仇討ち」 300年以上語り継がれる「赤穂浪士事件」を描いた『徂徠豆腐』【連載】東京すたこら落語マップ(3)

落語と聞くと、なんとなく敷居が高いイメージがありませんか? いやいや、そんなことないんです。落語は笑えて、泣けて、感動できる庶民の文化。落語・伝統話芸ライターの櫻庭由紀子さんが江戸にまつわる話を毎回やさしく解説します。


永遠のナゾ……「吉良上野介は名君だった」説も

「この前の恨み、覚えたるか!」と小刀を抜き斬りかかる浅野内匠頭。吉良上野介の額が斬られ飛び散る鮮血、梶川与惣兵衛がなおも刀を振り回そうとする内匠頭を後ろから羽交い絞めにし「殿中でござる!刀をお納めくだされ」とするも、「止めてくれるな梶川殿、武士の情けじゃ討たせてくりゃれ」。

 誰もが知る仮名手本忠臣蔵・大序のシーン。忠臣蔵が現在に至るまで長らく伝えられてきたのは、忠義を全うした赤穂浪士たちが悲劇のヒーローとして人々の心に刻み込まれた証明でしょう。

狩野秀源貞信『仮名手本忠臣蔵十二段目』(画像:櫻庭由紀子)

 しかし、史実の赤穂事件は謎が多く、現在まで伝わっている忠臣蔵はかなり脚色されたものです。

 例えば、内匠頭が吉良上野介に切りかかった理由について、忠臣蔵では上野介によるモラハラ、パワハラとされていますが、実は内匠頭の精神的錯乱であり持病であったとの説が有力です。

 実際、上野介は領地である三河国幡豆郡の治水に力を入れ、農地をまわりながら人々に声をかけた名君として伝えられています。

 忠孝のはざまで自害した萱野三平にいたっては、その決定的な理由が弱かったためか、別の人物のエピソードが付け加えられ、もはや名前と自害くらいしか使われていない状態です。

 事件から300余年経った現在では、吉良上野介の評価も忠義のあり方も変化しています。

 事件の発端となった「江戸城・松の廊下」は、皇居の中にひっそりと跡地として残るのみ。討ち入りの現場であった本所松坂町の吉良邸は、本所松坂町公園として両国の人々に守られています。

 赤穂事件は在りし日の武士の姿とともに、これからも様々な解釈で語られていくのでしょう。


【地図】討ち入りの現場となった吉良上野介邸の現在地

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