史上最も有名な「仇討ち」 300年以上語り継がれる「赤穂浪士事件」を描いた『徂徠豆腐』【連載】東京すたこら落語マップ(3)

落語と聞くと、なんとなく敷居が高いイメージがありませんか? いやいや、そんなことないんです。落語は笑えて、泣けて、感動できる庶民の文化。落語・伝統話芸ライターの櫻庭由紀子さんが江戸にまつわる話を毎回やさしく解説します。


忠臣蔵が生まれた瞬間・赤穂浪士たちの切腹

 荻生徂徠(おぎゅう・そらい)は、元禄時代の儒学者。芝増上寺門前に塾を開いていたといわれています(別の説もあり)。元禄9年に柳沢保明に召し抱えられ、赤穂事件で赤穂浪士の処分裁定論議に加わります。

 世論は赤穂浪士たちの忠義を賛美しており、ここで打ち首の裁決をしてしまえば幕府は浅野内匠頭を切腹させた「片落ち」を責められてしまいます。困った徳川綱吉は徂徠に相談。徂徠の出した答えが、義士切腹論「法を曲げずに情けをかける」でした。

 赤穂浪士たちの切腹は、人々に大きな衝撃をもって伝えられたと言います。赤穂浪士たちの死は赤穂事件の終結であり、忠臣蔵の物語のスタートでした。

●増上寺
 荻生徂徠が住んでいたと言われる長屋があったのは、おなじみ芝の増上寺の門前。現在は公園に囲まれている増上寺は、徳川家の菩提寺として繁栄しました。「徂徠豆腐」のほかに「浜野矩随」「首提灯」、そして有名な「芝浜」にも登場しています。

現在の増上寺。奥には東京タワーが見える(画像:櫻庭由紀子)

●魚藍坂下・長松寺

 白金高輪駅を降り、桜田通りを行くと魚藍坂下の交差点。焼け出された豆腐屋七兵衛夫婦が避難した薪屋があったのはこの辺りでしょうか。魚藍坂下の交差点を超えると、荻生徂徠の墓がある長松寺があります。

●泉岳寺

 魚藍坂を進み、伊皿子坂に入りさらに進むと泉岳寺。赤穂藩主・浅野内匠頭の菩提寺であり、赤穂義士たちの墓があることで有名です。

 赤穂浪士たちは、元禄16年12月14日吉良邸討ち入りにて本懐を遂げた後、永代橋経由で泉岳寺へ向かいます。主君の墓前に吉良の首を供えるためです。15日未明に泉岳寺に到着した浪士たちを、多くの町民たちが讃えたといいます。奇しくもこの日は、浅野内匠頭の月命日でした。

 泉岳寺境内にある「赤穂義士記念館」には貴重な資料保存されています。吉良上野介の首を洗ったという「首洗井戸」の存在は、赤穂事件が紛うことなき史実であると物語っているようです。

●細川下屋敷跡

 泉岳寺の隣は、細川下屋敷跡。大石内蔵助ら17人の赤穂義士切腹の地です。高松中学校の脇には旧細川邸のシイ。幹囲7.4m、高さ17mのうねる樹形の巨木は、歴史の清濁を飲み込んできたかのような姿で現在も佇みます。落語「井戸の茶碗」でくずやから仏像を買い取る高木作左衛門が住んでいたのもここです。

 ちなみに、赤穂藩江戸屋敷があった場所は築地の聖路加病院一帯です。敷地には「都旧跡 浅野内匠頭神邸跡」の石碑が建てられています。

永遠のナゾ……「吉良上野介は名君だった」説も


【地図】討ち入りの現場となった吉良上野介邸の現在地

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