目白駅の「目白」って何? 有名「不動尊」説も、調べてみたら大いに疑問が残った

目白駅の「目白」の由来について、フリーライターで古道研究家の荻窪圭さんが解説します。


「目白不動跡」の碑すら見当たらず

 目白通りから宿坂へ降りず、さらにまっすぐ東へ進みます。しばらく歩くと、やがて左手に東京カテドラル大聖堂(文京区関口)、右手に椿山荘(同)が見えてきます。ここまでくればもうすぐ。

 この椿山荘前の三叉路は、旧目白通りと新目白通りが合流するところ。椿山荘に沿っている狭い通りが旧道です。

 椿山荘あたりから旧道はぐぐっと下り坂になります。この坂が「目白坂」。なぜ目白坂かというと、坂の途中に「目白不動」があったから。

 目白不動があったので目白坂になり、その道が目白通りになったと思うとわかりやすいですね。つまり、目白不動はもともと椿山荘前の坂にあったのです。

 何か名残がないかと思って訪れてみましたが、面白いくらい何もありません。ただ豪華なマンションが建っているだけ。「目白不動跡」の碑でもないかと探しましたが見つからず、ただ目白坂という名前に名残があるだけです。あれだけ有名な不動なのに旧地に何も案内がないのはびっくりです。

目白不動の旧地を訪れると、瀟洒な低層マンションに。おそらくこのあたり(画像:荻窪圭)

 さて目白不動があったのは新長谷寺というお寺。江戸時代初期の1618(元和4)年に創建されたお寺で、そこの不動明王像を三代将軍徳川家光が目黒不動に対して目白と名づけたのがはじまりといわれてます。

 それ以来、目白不動として有名になったのですが、戦災で焼けて廃寺となり、目白不動堂は金乗院に移されたのです。

 その目白不動がかつてあった坂道は、古い八幡神社や江戸時代のお寺が今でも残っていますし、椿山荘の庭園にも江戸時代からの古い庚申塔が、崖下の神田川沿いには水神様や松尾芭蕉ゆかりの芭蕉庵、細川家の永青文庫(文京区目白台)などなかなかの歴史散策スポットとなってます。

目白駅は目白不動から離れすぎの過去


【地図】目白駅から徒歩30分も要したかつての目白不動の場所

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