地下に漂う80年前の残り香――旧新橋駅のホームはなぜ「幻の存在」となったのか

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地下に漂う80年前の残り香――旧新橋駅のホームはなぜ「幻の存在」となったのか

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黒沢永紀

都市探検家・軍艦島伝道師

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「幻のホーム」と呼ばれる地下鉄の旧新橋駅ホームには、いったいどのような歴史があるのでしょうか。都市探検家の黒沢永紀さんが解説します。

壁板の合間から見えるモザイクタイル

 京成電鉄の博物館動物園駅や京王線の旧初台駅、そしてJR両国駅の3番線など、東京には「幻の駅」や「幻のホーム」といわれるものがいくつもあります。場所によっては、時々一般公開されたりイベント会場として使われたりしますが、多くは記憶の彼方に置き去りにされ、静かに眠っています。

 そんな「幻」の中で、もっともよく知られるのが、地下鉄の旧新橋駅ホームではないでしょうか。多くのメディアで取り上げられ、実際にも存在するので「幻」とは言いがたいかもしれません。しかしその歴史を紐解けば、幻の意味が垣間見えくるでしょう。今回は、復活のときを静かに待つ地下鉄新橋駅「幻のホーム」の話です。

会議室などの増築で幅が狭くなってしまったホーム(画像:黒沢永紀)



 2019(令和元)年の現在、幻のホームは、新橋駅改良工事用のスペースとなっているため、画像は2013(平成25)年に取材したときのものを使わせていただきます。

 新橋駅地下1階にある、地下鉄構内でよく見かける鉄扉を開けると、いきなり目の前に幻のホームが現れます。仄暗く、少し漂うカビの香りが、戦争を乗り越えてきた長い年月を感じさせてくれます。

 1939(昭和14)年に造られたホームは対面式で、全長約50m。中央にアーチ型の列柱があり、終端にはバックライトの標識がぼんやりと浮かび上がります。サイディング(壁板)によってオリジナルの壁面はそのほとんどが覆われていますが、その合間から有名なモザイクタイルの駅名が確認できました。

なぜ「幻の駅」と言われるようになったのか

 右書き文字の「新橋」の駅名タイルは、目算でおよそ50cm × 25cm。画像で見る印象よりはるかに大きなものです。

 建設されたのは第二次世界大戦の前夜。まだ物資統制などが始まる前ですが、それでも乳白色のタイルが貼られただけの壁や無装飾なアーチの列柱など、装飾的なものはほとんどなく、とてもシンプルな構造です。

モザイクタイルで造られた右書きの駅名表示(画像:黒沢永紀)



 では、この新橋駅が、なぜ「幻の駅」と言われるようになったのか。そこには、この駅が完成したときの特別な事情が関係していました。

 現在、銀座線が発着する東京メトロの新橋駅は、その黎明期にふたつの鉄道会社が相互乗り入れをする駅でした。海外の見聞から、東京に地下鉄の必要性を提唱した早川徳次(のりつぐ)の東京地下鉄道(以降「地下鉄道」)と、東急の創業者である五島慶太の東京高速鉄道(以降「高速鉄道」)の2社です。

 地下鉄道は浅草から新橋を、高速鉄道は渋谷から新橋を、それぞれ運行する計画でした。加えて高速鉄道は、新宿方面への建設の権利も取得していたことから、新橋から新宿への折り返し駅を造る必要がありました。この折り返し用のホームが現存する「幻のホーム」です。

今も眠り続ける「徒花の駅」

 1934(昭和9)年に浅草から新橋まで開通させた地下鉄道から遅れること5年、高速鉄道も渋谷から新橋まで開通させたものの、相互乗り入れに対する両社の思惑のもつれから、同じホームの使用がすぐにかなわず、折り返し駅が高速鉄道の新橋駅として暫定的に使われることになります。

 その8か月後、現在の新橋駅を使った高速鉄道と地下鉄道の直通運転が始まり、幻のホームは折り返し駅として復活のときを待つことになりました。しかし、1941(昭和16)年に両社は営団に吸収され、やがて戦争激化で地下鉄工事は頓挫。

 戦後新宿方面への路線として丸ノ内線が完成したのは1959(昭和34)年のことで、さらに新橋を通らないルートだったため、幻のホームが折り返し駅として復活することはありませんでした。

バックライトでぼんやりと浮かび上がる車止め標識(画像:黒沢永紀)



 1939(昭和14)年の1月から9月まで、わずか8か月しか使われなかったホームは、幻というよりは「悲運のホーム」であり、今も眠り続ける徒花(あだばな)の駅だったともいえるでしょう。

 東京メトロは2015年に幻のホーム復活のアイデアを公募し、受賞作品はインターネット上で閲覧することができます。メトロのロゴグッズ販売や夜にはバーになる最優秀賞をはじめ、旧1001号車の窓にモニターを装備して当時の街並みが再現されるもの、また構内を植物で埋めた公園にする構想など、趣向を凝らしたアイデアが見られます。

 しかしデザイン画を見る限り、サイディングが施されていたり、地下鉄からは見えるはずのない車窓の風景が映し出されたり、軌道が完全に埋められていたりと、幻のホームを大幅に造り替えてしまうものが多いように感じました。

ホーム周辺に現代的なアレンジを

 幻のホームには、前述のように東京の地下鉄黎明期の特殊な歴史が眠っています。また、建築的な視点から見ても、シンプルなアーチ型の柱や無装飾な内装に、近代から現代への移行期の特徴が現れています。いわば、帝都の記憶を今に伝える貴重な遺産といえるでしょう。

相対式ホームの中央を仕切る簡素なアーチ型の列柱(画像:黒沢永紀)



 これはひとつの意見ですが、80年前のホームをそのまま再生することで、歴史を保存すると同時に、時空を超えた異空間を生み出すことができるのではないでしょうか。

 それを前提に、あとは照明によって今風の陰影を生み出したり、ホーム周辺に現代的なアレンジを施すことで、幻のホームがより一層輝くのではないかと思いました。

 東京メトロでは、コンペの結果を踏まえながら、ゆっくりと幻のホーム再生への準備を進めているとのこと。80年のときを超えて復活のときを待つホームがどのように生まれ変わるか、いまから楽しみです。

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