坂本九からPerfumeまで――紅白歌合戦の「東京ソング」は何を描き、うったえたのか

一年を締めくくるテレビ番組として、長年愛される「NHK紅白歌合戦」。そんな「NHK紅白歌合戦」の過去と現在には、「東京」という存在が深く関わってきました。社会学者の太田省一さんが考察します。


「スーパー・シティ」だった1980年の東京

 ただ、その頃の出場歌手が歌う曲は、必ずしも明るい未来を謳歌するようなものばかりだったわけではありません。

 1963年は、坂本九が「見上げてごらん夜の星を」(作詞:永六輔)を披露しています。ロマンチックなイメージがあるかもしれませんが、元々は集団就職で都会にやってきた若者たちを主人公にしたミュージカルのためにつくられた曲でした。そこには、「ささやかな幸せ」を願う「名もない星」である若者、寂しさをこらえながら都会で懸命に働く若者の姿があります。

 同じく永六輔が作詞した「帰ろかな」を歌ったのが、1963年が初出場の北島三郎です。この曲も1965(昭和40)年を皮切りに「紅白」で繰り返し披露されました。詞のなかで、故郷の母親を心配する男性はいっそ結婚して母親を迎えようかと考えます。「やればやれそな東京暮らし」と思案をめぐらせるその姿は、まるで「見上げてごらん夜の星を」とストーリーがつながっているようでもあります。

 こうした“東京から故郷を思う”という構図に変化が表れてくるのは、1980(昭和55)年前後のことです。

 1978年に初出場した中原理恵の「東京ららばい」は、その兆しともいえる曲です。「午前三時の東京湾(ベイ)」や「午前六時の山の手通り」を舞台に繰り広げられる大人の恋の駆け引きを描いた松本隆の詞は、クールななかにも都会的な哀感を感じさせます。

眠らない夜の六本木通り(画像:写真AC)

 そんな“眠らない都市・東京”の誕生を華々しく宣言したのが、ジュリーこと沢田研二の「TOKIO」でした。本物のパラシュートを背負いながら歌ったことでも当時大変な話題になったこの曲は、1980年元日の発売。その年の「紅白」でも歌われました。

 このなかで東京は「空を飛ぶ」ような「スーパー・シティ」として描かれています。「欲しいなら 何もかも その手にできるよ A to Z」と詞にあるように、どんな欲望も満たされる消費文化の中心、それが東京という街です。作詞がコピーライターの糸井重里だったのも、大事なポイントでしょう。

 そこにはすでにバブルの香りがします。歌のなかに「光の泡」というフレーズが出てくるのも、その印象を強めます。そして実際、1980年代後半バブル景気になると、荻野目洋子の「六本木純情派」やバブルガム・ブラザーズ「WON’T BE LONG」など当時の東京の高揚した気分を反映した楽曲も「紅白」に登場するようになりました。

バブル後に消えた東京ソング、近年復活の兆しも


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