自分も貧乏なのに、勢いあまって他人に大金を貸したら思わぬ結果となった『文七元結』【連載】東京すたこら落語マップ(2)

落語と聞くと、なんとなく敷居が高いイメージがありませんか? いやいや、そんなことないんです。落語は笑えて、泣けて、感動できる庶民の文化。落語・伝統話芸ライターの櫻庭由紀子さんが江戸にまつわる話を毎回やさしく解説します。


文七のモデルは実在の人物

 左官の長兵衛が住んでいたのは、本所達磨横丁。この横丁は実在したようで、葛飾北斎も晩年過ごしたといわれている横丁です。現在でいうと、東駒形1丁目の辺り。区画整理のためその横丁の場所ははっきりとしません。

 長兵衛がお久を迎えに行ったのは、吉原の佐野槌。圓朝は吉原の女郎屋の大店「角海老」を設定していたのですが、昭和に入り、「角海老はこの噺の時代背景より後に最盛期を迎えており、佐野槌の方が内容にふさわしい」と六代目圓生や五代目志ん生が変更したと伝えられています。噺家はリアリティを追求するといいますが、こんなところにも噺への執念をみることができます。

 吉原の入り口、東京都台東区千束4丁目の交差点には6代目の「見返り柳」。お久と引き換えに借りた50両を懐に押し込み、長兵衛は山谷堀に沿って歩き、「待乳山聖天」で吉原を振り返ります。

 待乳山聖天(まつちやましょうでん。台東区浅草)は、「浅草名所七福神」の毘沙門天が祀られており、大根を奉納するすることでも有名。池波正太郎生誕の地としても知られています。

 文七が飛び込もうとしていた吾妻橋。アサヒビール(墨田区吾妻橋)のビルや水上バスの発着所があることで、観光客でいつでも賑わっています。

隅田川にかかる吾妻橋(画像:櫻庭由紀子)

 橋を渡り、隅田公園(墨田区向島)へ。ここは、文七が50両を置き忘れた水戸のお屋敷があった場所。桜の名所としても知られています。考えてみれば、集金した大金を忘れてしまうくらいですから、商人には向いていなかったかもしれません。元結職人として成功したのもうなずけます。

 因みに、文七のモデル初代・桜井文七は実在の人物。元禄年間に長野県飯田市で開発した水に濡れても切れない丈夫な紙紐が、文七元結として有名になったとのこと。その後江戸に出て活躍したのを、圓朝がモデルにしたといわれています。

 水戸のお屋敷を後にした文七が、50両の金をすられたと勘違いした枕橋。今でも隅田川から分かれた北十間川を渡しています。この川を下って行くと、東京スカイツリー(墨田区押上)です。

50両を恵む長兵衛の心理の解釈に注目


【地図】主人公・長兵衛の自宅があった「本所達磨横丁」の現在の位置を見る

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