浅草「神谷バー」 その芳醇な歴史を「電気ブラン」とともに振り返る
2019年11月24日
お出かけ浅草・雷門近くにある「神谷バー」。その名物は「電気ブラン」で、ルーツとなったものが誕生したのは1882年といいますから、歴史を感じざるを得ません。そんな「神谷バー」と「電気ブラン」について都市探検家の黒沢永紀さんが解説します。
神谷バーの「神谷」とは……
そんな神谷ビルの1階に入店するのが「神谷バー」。バーといっても、暗い店内に高椅子のカウンターがあって洋酒を傾けるような一般的なバーではなく、いわば昭和の百貨店にあった大食堂の様な印象です。
店内はとても明るく、4人掛けから8人掛け程度のテーブル席がビッシリと並び、混雑してくると相席があたりまえ。店員さんが統一した制服を着用しているのも、大食堂感をあおります。
お客にはひとりで嗜む地元のご常連も多く、またグループの人々が顔を赤くしてワイワイと酌み交わすのも、まさに浅草らしい大衆文化。立ち飲みでもないのに、初対面のお客同士が会話をし始める光景もよくみかけます。
では、そんな大食堂の様でもあり大衆酒場の様でもある店が、なぜ“バー”なのか。それには神谷バーの歩みをちょっと紐解く必要がありそうです。
神谷バーの神谷とは、初代オーナー、神谷傳兵衛(でんべえ)氏の苗字。幕末に三河で生まれ、貧困に苦しんだ傳兵衛氏は、知多郡の造り酒屋の豪奢な建物を見て、将来酒屋を営むことを心に誓います。
いくつかの酒蔵や醸造所で働いたあと、麻布の造り酒屋で樽酒を売り歩いてコツコツと資金を貯め、浅草に間借りして酒の一杯売りの店を開店したのが1880(明治13)年のことでした。出身地を屋号にした「みかはや銘酒店」、これが神谷バーの前身です。

三河屋の経営である程度資金が貯まると、かねてより思い描いていた日本人好みの甘いワインの製造に着手。和洋の醸造所で働いた経験を生かしながら、輸入ワインを加工することで、廉価で飲み易いワインを完成させました。これが、電気ブランとともに神谷バーの看板商品となる「ハチブドー酒(正式名は蜂印香竄〈こうざん〉葡萄酒)」です。
またブドー酒に限らず、輸入酒精を加工した速成ブランデーも発売しますが、おりしも1882(明治15)年に東京でコレラが流行ると、コレラの予防に効くというキャッチコピーと共に爆発的に売れたこのお酒こそ、電気ブランの原型でした。

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