実はとってもフレンドリー? 神田川のほとりにあるイカつい「要塞」の正体とは

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実はとってもフレンドリー? 神田川のほとりにあるイカつい「要塞」の正体とは

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黒沢永紀

都市探検家・軍艦島伝道師

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神田川のほとりに要塞と見紛う不思議な建物があります。いったい何なのでしょうか。都市探検家の黒沢永紀さんが解説します。

スターリン様式を思わせる要塞のような造り

 地下鉄の中野坂上駅、中野新橋駅、および西新宿五丁目駅のいずれからも徒歩で約10分。神田川のほとりに要塞と見紛う不思議な建物があります。

 実はこの建物は2008(平成20)年建立の「八津御嶽神社(やつみたけじんじゃ)」(中野区本町)。ともすると新興宗教の施設にも見えかねない、この突飛な建物は、いったいどういう神社なのでしょうか。

要塞を彷彿とさせる八津御嶽神社の正面外観(画像:黒沢永紀)



 東京区部のほぼ真ん中を東西に貫流する神田川。そのほとりに突然現れる、垂直にそそり立つコンクリートの壁。台形状の建屋は遠近法の効果で実際よりも高く見え、まるで対岸の敵に向かってそびえ立つ要塞の様です。

 壁面に施行された何本もの長方形の窪みや、それに合わせて造られた銃眼の様な窓、そして、てっぺんに並ぶ鋼鉄の柱。その異様さは、かつてソ連の時代にヨシフ・スターリンを讃えて建造されたスターリン様式をも彷彿とさせます。

 裏へ回ると、壁の様な正面とはうってかわって、複雑で幾何学的な構造物がゴツゴツと張り出し、要塞感はいっそう増幅します。セパ穴が付いたコンクリート打ちっぱなしの外観は、ともすれば80年代の建造物の様にも見えますが、そのわりにコンクリートは比較的新しい印象です。

 そして建物に近づくと正面中央や側面の端に鳥居があり、初めて神社だということがわかります。しかし、神社というには境内がなく、正面中央の鳥居の奥は仄暗くて、気軽に入れる雰囲気ではありません。

 果たしてこの神社は入っていいものなのか。おそるおそる鳥居をくぐると、二階の神殿へ誘う案内板があるので、どうやら参拝は可能なようです。靴を脱いでいざ二階へあがると、ちょうど代表の山本行徳(ゆきのり)さんがいらっしゃったので、さっそく神社の由縁や建物のお話をうかがいました。

八津御嶽神社の歴史を振り返る

 八津御嶽神社の歴史は古く、鎌倉時代初期の1185(文治元)年に、地頭職の八津時種が、日本神話に登場する最初の神「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」を小さな神社に祀ったことがはじまりといいます。

背後の天窓から光が降り注ぐコンクリートの壁に囲まれた神殿(画像:黒沢永紀)



 やがて東京の新宿に遷座。東京医大とヒルトンの間にあったお社は、東京医大の移転にともなって、1958(昭和33)年に現在の地へ再び遷座することになります。当初の社殿は、普通の神社と同じ木造でした。

 その後、なんと久保田鉄鋼(現クボタ)製造の鉄柱が並ぶ社殿に改装。ずいぶんと変わった社殿だと思いますが、この頃から現在のお社の片鱗が現れていたのでしょう。

 2000年前後に神田川の拡幅整備が始まり、鉄柱の約半分が完全にかぶってしまったため、再び再建の必要に迫られて、現在の社殿を建立することになったようです。

 もちろん建て替えの補助金は東京都から出るものの、どうせ建て替えるなら納得のいくものを、と思い立ち、自己資金をふんだんに追加した赤字覚悟での建て替えだったといいます。

 当初は、施工の鹿島建設に設計も依頼。しかし出来上がってきた構想が“全然面白くない”ものだったため、急遽建築家に設計を依頼することに。

 山本代表が目を付けたのが、主に教会建築や都市計画を手掛ける長島宏一氏でした。氏が過去に手がけたコンクリート造の教会や寺院を見た山本代表は、アポなしで事務所を訪れ設計を依頼。長島氏にとっても神社建築は初めてのことなので、打ち合わせはゆうに半年以上かかったようです。

 そして2009(平成21)年に完成したのが、現在の要塞を彷彿とさせる、凝りに凝ったお社でした。

凝りにこった社殿の造り

 まず、外観正面のフォルムは鳥居の形をデフォルメしたもの。言われてみると、なるほど鳥居のように見えなくもありません。

 また、側面に施工された逆三角形の窓も、神社はもとより、一般の家屋やビルを引き合いに出しても、なかなかお目にかかれない造形です。

 そして、一番こだわったのは、内部空間の「光と音」だといいます。奥に鎮座する神殿の上部に施工された天窓は、天空から光が降り注ぐような効果を演出。また、祭壇の床は総大理石貼りで、コンクリートの内壁と大理石の床による反響は、とても艶やかな響きを生み出します。

 当初長島氏は、ヨーロッパ文化の流れをくむコンクリートの方が強く、お宮が負けてしまうのではないかと懸念したようですが、いざ完成してみると、意外に整合性があることに驚いたといいます。

京都の絵師に発注した浮き彫りの絵が並ぶ祈りの間の格天井(画像:黒沢永紀)



 参拝スペースの天井は格天井(ごうてんじょう)。と言っても、これもまた一般的なものではなく、格子の中に蛍光灯が仕込まれ、明るい空間を創り出したもの。各板には、建築後に京都の絵師が彫り込んで制作した花の絵が、寄進によってはめ込まれています。

 さらに、壁面の高い位置に施工されたふたつのステンドグラスは出雲大社にヒントを得たもの。1枚は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)による国生みの図、もう1枚には天照大御神が天岩戸(あまのいわと)から姿を現した瞬間が描かれています。おばあさまが描かれた原画を図案化したもので、豊島区のステンドグラス大竹さんに依頼したそうです。

外観とは正反対の開放的な神社

 およそ神社とはかけ離れた造りで、とても敷居が高そうな印象を受ける八津御嶽神社。しかし、この神社は、そんなルックスとは裏腹に「家を大切にし、健康・財力・和合の三つの宝を人生の指針にすること」を掲げる、とても間口の広い神社でした。

 社殿の中では、画展や写真展など、地域の交流を計るイベンドが目白押し。山本代表自らが演奏するギターライブも人気イベントのひとつとのようです。また、雅楽のコンサートも行われるようで、音響にこだわった空間に響く雅な調べはまた格別だとか。

 特に祭壇を高座がわりに行われる落語会は、建立から約10年で100回を数える人気のイベント。「寄席ブームの前から開催してましたからね。結構私は先見の明があったんだな~」と、山本代表はおおらかに笑いながら語ってくれます。また震災のときには、ピアノ伴奏で唄声喫茶ばりに参加者全員で合唱し、とても一体感が生まれたといいます。

「あなたの祈りも大切、私の祈りも大切」をモットーに、仏教もキリスト教も境なくお付き合いをされている山本代表は、とても機知に富んだ、明るい宮司さんでした。

 ともすれば神社ということを忘れ、イベントスペースとも思える八津御嶽神社は、その要塞のようなインパクトあるルックスと共に、神社の本来あるべき姿、すなわち地域にとって誰もが気楽に訪れることができ、よりよい人生の指針を与えてくれる、開かれた神社でした。

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