水難都市「東京」が大雨被害と戦ってこられたワケーー先人の知恵から読み解く治水の法

東京・奥多摩や、千葉県との県境。これまで幾度となく水害に見舞われながらも被害を抑えられてきた理由はどこにあるのでしょう。ライター・エディターの大石始さんが先人の知恵を読み解きます。


江戸時代から東京を悩ませ続けてきた水害と、その教訓

 こうした水害は、実は「奥東京」に限ったものではありません。東京がかつて江戸と呼ばれていた時代から、この大都市には常に水害に苦しめられてきた長い歴史があります。

 有名なところでいえば、徳川家康が江戸に入ってまず着手した本格的な治水工事です。『江戸川の治水のあゆみ』(江戸川区教育委員会・編)によると、1590(天正18)年には伊奈忠次(いな・ただつぐ)を関東郡代に任じて、利根川水系の治水調査に当たらせています。

 その調査とは舟運(しゅううん、川や運河で物資や旅客を運搬する輸送のこと)を開いて物資流通の便を向上させるためだけでなく、江戸を水害から守るためのものでもありました。

 東京のなかでもとりわけ水害との関係が切り離せないのは、千葉との県境に位置する東側のエリア。大小の河川が蛇行しながら絡み合う地形は、「水の都」とも称されました。

 先日の台風19号襲来の際には、岩淵水門(北区志茂)から中川の河口まで開削された人工河川・荒川放水路が隅田川の氾濫を防いで注目を集めましたが、この荒川放水路が完成したのは1930(昭和5)年と比較的最近のこと。この一帯は戦後もたびたび台風の被害を受けており、とくに1947(昭和22)年のカスリーン台風や1949年のキティ台風では多くの死傷者を出しています。

緊急時の河川舟運確保のため荒川放水路に整備された荒川ロックゲート(画像:写真AC)

『奥東京人に会いに行く』で訪れた葛飾区の江戸川および中川流域は、「カエルが小便をしても水が出る」などとも言われてきた土地。この地に水害にまつわる数多くの伝承や民話が残されていることにも、水害に悩まされてきた長い歴史を垣間見ることができます。

 たとえば現在の葛飾区西水元4丁目に祀(まつ)られている水神社は、1826(文政9)年の大洪水の際、水の勢いを止めるために老名主の源右衛門が川に飛び込み、人柱となって村を助けたことから建立されたと伝えられています。

 隣接する江戸川区の東小松川には、水の神様を祀る「水神講」という信仰集団が今もなお存続しています。小松菜の原産地でもあるこの東小松川は、中川と江戸川に挟まれた低地帯。かつては蓮田が広がり、水路が迷路のように張り巡らされていたといいます。このような土地で水神講は、農作物の成長を願うだけでなく水害から田畑と家を守るために祀られてきたわけです。

いにしえからの言い伝えに、今こそ学ぶべきこと


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