貧乏学生の胃袋を支えてくれた目黒区「ダイエー碑文谷店」の思い出

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貧乏学生の胃袋を支えてくれた目黒区「ダイエー碑文谷店」の思い出

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昼間たかし

ルポライター、著作家

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大型商業施設・イオンスタイル碑文谷以前に存在し、かつて小売業界にさまざまな衝撃を与えたダイエー碑文谷店についてルポライターの昼間たかしさんが解説します。

ピーク時には年間200億円を売り上げた

 東急東横線の学芸大学駅から少し歩いた目黒通り沿いに、大型商業施設・イオンスタイル碑文谷(目黒区碑文谷)があります。休日となれば駐車場に入る車が並び、賑わいをみせているさまは少し懐かしい感じがします。

イオンスタイル碑文谷の外観(画像:昼間たかし)



 地上7階・地下1階の建物は、かつてダイエー碑文谷店として親しまれていました。現在は大型商業施設の規制緩和により、郊外の超巨大店舗が当たり前になっています。まだ規制の厳しかった1975(昭和50)年にオープンしたダイエー碑文谷店は、法律が変わる1990年代までは全国でも屈指の超巨大な規模を誇るスーパーマーケットでした。

 もともと、この建物は日本最大級のボウリング場になる予定だったのが計画変更でダイエーが入居したもの。そのため、独特な外観のスーパーマーケットとなったわけです。鉄道駅からも少し離れ目立つ建物もない目黒通り沿いにあって、ダイエー碑文谷店は地域のランドマークとして知られていました。

 そんな同店はダイエーが当時旗艦店として位置づけていたこともあり、メディアにたびたび登場。開店の2年前の1973(昭和48)年に、ダイエーは大手デパートの三越を抜いて小売業の全国トップ企業に踊り出ました。また開店から5年後の1980年には売上高が一兆円に到達しています。そんな巨大企業の旗艦店として、ダイエー碑文谷店はピーク時に年間200億円の売上を達成。多くの業界関係者が視察に訪れる店となっていました。

 過去の新聞記事を探してみると、1987(昭和62)年には大根やキャベツがすべて10円という破格のセールを実施。1988年には当時としてはまれだった、1月2日の初売り営業。牛乳パックやアルミ缶などのリサイクルを開始するなど、なにかと「ダイエー碑文谷店では……」という表現が用いられています。都心に近くメディアに多く登場したことで、同店は当時全国に名を轟かせていたダイエーの中でももっとも知られた店舗でした。

ありとあらゆるものが試食できた

 現在はビルの影になっていますが、ガラス張りになったエレベーターから当時天気がいい日には東京タワーが見えたといいます。また、店内で若者に人気だったのがドムドムハンバーガー。2017年までダイエーの子会社が運営していた同ハンバーガーチェーンは、開店当初から出店。まさにダイエーの栄華が凝縮した店舗だったのです。

スーパーマーケットでの試食のイメージ(画像:写真AC)



 また、高級住宅地の多い目黒区内。かつ駐車場が地下にある店舗ということで、スーパーマーケットにもかかわらず「芸能人に会えるスポット」でした。哀川翔さんや吉田拓郎さんを見かけたという人もいますし、三谷幸喜さんはジャージ姿で気軽に訪れていたようです。吉田拓郎さんはよほどお気に入りのスポットだったのか、『Y』という歌の歌詞に「僕の趣味は雨の日のドライブとダイエーでのお買い物」という一節を入れています。

 店舗構成はどこでもみられる1~2階が食料品で、上階が生活用品という構成。この買い物の目的別に売り場を分類するという今では当たり前の陳列も、ダイエー碑文谷店が初めて導入したものです。その中で際立っていたのが店の顔でもある1階食料品売り場です。際立っているのは、安さや品物の豊富さではありません……ほかの競合店と比べて、試食がとても多かったのです。

 当時筆者は大学生で東急線沿線に住んでおり、仲間たちと一緒に「今日は碑文谷のダイエーに」と、何度も出掛けたのを記憶しています。幾分か電車賃を使っても十分に楽しむことができたからです。

 なにしろ、大勢の人で混雑する日曜日の店内は試食が大盤振る舞い。貧乏学生がとても買えないような値段の牛肉も、惜しげもなく試食できたのです。筆者は一回食べて、また間をおいてもう一度……と売場を何度もグルグル回っていました。しかしケチくさいことなどは決して言われず、腹ペコな胃袋を十分に支えてくれました。

碑文谷はスーパーマーケットの「聖地」

 しかし、「流通革命」といわれ栄華を誇ったダイエーは時代の変化に抗えず、表舞台から遠ざかっていきました。その後を受ける形で入居したイオンスタイル碑文谷ですが、単に居抜きで物件を入手して運営しているわけではありません。

 2016年のオープンにあたり、イオンリテールの大島学専務執行役員南関東カンパニー支社長(当時)は「41年前、ダイエーの幹部がマーケットで最高のものをつくろうと努力した」として、「お客さまのライフスタイルに合わせて最高級のものを展開しようということでイオンスタイルにした」(日本食糧新聞 2016年12月28日付)と語っています。

 その熱意があってか、決して人通りの多くない碑文谷周辺でこの周囲だけは常に賑わっています。ダイエー時代と変化しているのは、単に安いだけでなくより幅広い商品が揃っていることです。2018年には目黒通りを挟んだ向かいにある別館に、フランス発のオーガニックスーパー「ビオセボン」がオープンしています。時には節約してスーパーマーケットで安く。時には自分へのご褒美に高価で良い品をという風に、さまざまな買い物スタイルが楽しめるのです。

 ダイエーが歴史の1ページになってしまったことは寂しいですが、今なお碑文谷はスーパーマーケットの「聖地」なのです。

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