東京・神田で「神様」に出会った少年の話 志賀直哉の名作『小僧の神様』の舞台を辿って

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東京・神田で「神様」に出会った少年の話 志賀直哉の名作『小僧の神様』の舞台を辿って

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下関マグロ

サンポマスター、食べ歩き評論家

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志賀直哉の小説『小僧の神様』、読んだことありますか? 主人公の少年、仙吉はお遣いへ向かう道々、東京・神田の町並みにどのようなことを思っていたのでしょう。作品発表から99年のときを経て、フリーライターの下関マグロさんが彼の辿った道のりをなぞるように歩いてみました。

寿司を食べたかった小僧、仙吉の物語

 志賀直哉の小説『小僧の神様』を初めて読んだのは高校生のときでした。1920(大正9)年の発表からすでに99年が経過していますが、何度も読み返してみてもそのたびに新しい発見がある味わいの深い作品です。

 有名な小説なので、読んだことがあるという人も多いかもしれませんが、その内容をざっくり説明しておきましょう。

 主人公は仙吉(せんきち)という小僧さんです。今でいえば中学生くらいですが、昔はそんな子どもも働いていたんですね。仙吉が働いているのは東京・神田にある秤(はかり)屋です。

1920年に発表された志賀直哉の短編小説『小僧の神様』(画像:下関マグロ)



 ある日、仙吉は京橋にある店「S」にお遣いに出されます。出がけに彼は番頭から往復の電車賃として8銭をもらうのですが、行きは電車に乗り、帰りは歩いて4銭を浮かせます。この4銭で彼は、寿司を食べようともくろんでいたのです。

 小説の冒頭、店の番頭ふたりの会話を仙吉が聞いているシーンがあります。ちょっと引用してみましょう。

「おい、幸(こう)さん。そろそろお前の好きな鮪(まぐろ)の脂身(あぶらみ)が食べられる頃だネ」

「ええ」

「今夜あたりどうだね。お店を仕舞ってから出かけるかネ」

「結構ですな」

「外濠(そとぼり)に乗って行けば十五分だ」

「そうです」

「あの家のを食っちゃア、この辺のは食えないからネ」

「全くですよ」

 この会話を聞き、仙吉はああ、あの寿司屋だなとピンと来ます。というのも、ときどきお遣いに行かされるSの近くに、その寿司屋があるのを知っていたからです。

 この小説は1920(大正9)年に雑誌『白樺』に発表されました。当時はまだトロとは呼ばずに「鮪の脂身」と言っていたんですね。もっとも江戸時代は脂身は食べる人がいなくて捨てていたそうですが、この時代になるとすでに人気の部位になっていたようです。

 この会話のなかに、仙吉が乗った電車が出てきます。それが、上記の番頭同士の会話にも出てくる「外濠(そとぼり)」です。後に東京都電外濠線と呼ばれる線で、その名前の通り、通称「外堀通り」、正式には「東京都道405号外濠環状線」を走っていた路面電車です。

 この物語で仙吉が歩いた神田から京橋までの道のりをあらためて歩いてみたいと思います。仙吉が奉公していた秤屋さんがどのあたりかは分かりませんが、筆者はJR神田駅南口から出発することにしました。

 高架になっているJRの線路の下を南に進めば、常盤橋に出ます。この辺りから、仙吉と同じように外濠線に乗っている気分で歩いてみます。作品のネタバレを含みますので、この先は注意して読んでみてください。

かつて江戸城にあった鍛冶橋門の地名が今も

 そのまま外堀通りを歩くと、次は呉服橋。外濠線は今はありませんが、交差点の名前に停留所の名前が残っていたりします。

 左側に日銀、その先に行けば東京駅が見えてきます。

道の真ん中にある中央分離帯のところを電車が走っていたんですね(画像:下関マグロ)



 仙吉がどこから外濠に乗ったかは小説に書かれていませんが、降りた場所は書いてあります。鍛冶橋です。

 右に東京駅を見ながら歩き、八重洲ブックセンターという書店の先へ行けば鍛冶橋の交差点があります。

 鍛冶橋の交差点には、鍛冶橋門跡の説明書きが建っていました。かつて江戸城には鍛冶橋門があり、外堀にかかっていたのが鍛冶橋です。神田駅からだと筆者の足で23分の道のりでした。

 仙吉はここで電車を降りて、京橋方面へ向かいます。実際に歩いてみると、すぐに京橋の交差点が見えてきました。

 仙吉は番頭たちが話題にしていた寿司屋の前を通り、お使い先の店Sへ行きます。Sでは重い荷物を受け取って、来た道を帰るのですが、そこで立ち食いの寿司屋を見つけて思わず店内へと入ります。

「海苔巻はありませんか」という仙吉の問いに、肥(ふと)った主は「ああ、今日は出来ないよ」。仙吉は少し思い切った様子で、こんなことは初めてじゃないとばかりに台に置かれていた寿司のひとつに手をのばしますが、「ひとつ6銭だよ」と主に言われ、すごすごと寿司を台に戻して出ていきます。彼は帰りの電車賃を浮かせた4銭しか持っていませんでしたから。

 この光景を見ていたのが貴族院議員の「A」でした。その後Aは、秤屋で働く仙吉を偶然見かけて、寿司屋でこっそり仙吉にご馳走してあげることになります。「小僧の神様」とは、Aのことだったのですね。

歩いて分かった、仙吉の行動の不可解?な点

 それにしても今回、仙吉が歩いたと思われる道のりを実際になぞってみて、疑問に感じたことがあります。仙吉はなぜ、行きも帰りも両方歩かなかったのか、ということです。

 筆者は、仙吉のお遣いコースをなぞってたどり着いた京橋から、出発地点の神田駅まで戻るのに、東京メトロ銀座線の京橋~神田駅に乗ってもよかったのですが、徒歩で戻ってみることにしました。神田駅に再び戻るまで、筆者の足でおよそ1時間ほど。散歩やウォーキングを趣味にしている人であれば、それほど苦になる距離ではないというのが感想です。

お遣いに出た仙吉が、行きは歩いて向かった京橋(画像:下関マグロ)



 小説というフィクションにこういうツッコミを入れるのもちょっとどうかなと思いますが、仙吉は行きも電車に乗らずにすべて歩けば、電車賃の8銭すべてが浮いたわけで、そうすれば6銭の寿司を食べられたわけです。

 でも、仙吉はそうしなかった。寿司ひとつが6銭ではなく4銭で食べられると思い込んでいたのでしょうか。あるいは、帰りの時間が遅れると番頭に叱られてしまうからでしょうか。いろいろな理由が考えられます。

 この『小僧の神様』という小説、すでに読んだ人はもう一度読み返してみてはいかがでしょう。もちろん、まだ読んでいない人にはぜひ読んでみてほしいと思います。

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