日本考古学発祥の地「大森貝塚」、大森なのに大田区になかった いったいなぜ?

学校の授業で必ず習う大森貝塚。「日本考古学発祥の地」と称される同地には、かつてその場所を巡りひと悶着がありました。ルポライターの昼間たかしさんが解説します。


改めて発掘調査が行われた結果……

 ところが、その過程で大きな問題が起こりました。研究の出発点である大森貝塚がどこにあったのかが、わからなくなったのです。というのも『大森介墟古物編』には、大森貝塚の場所がまったく記載されていなかったのです。

大田区の「大森貝墟碑」(画像:写真AC)

 現在の考古学は遺跡の場所だけでなく、土器や石器などがどの場所の、どの地層から出土したかは欠けてはならない基本情報です。そのため正確に測量を行い、地球上のどこにあるかまで完全にわかるようになっています。

 ところが、モースの時代は違いました。モース自身も動物学者であり門外漢。おまけに連れてこられた学生は完全に素人です。そのため、なかば宝探しの感覚で土器や骨を掘ることに目がいき、肝心の「発掘地点はどこか」の記録があいまいになってしまいました。結果として「多分このあたり」と推測されたのが、現在の大田区と品川区の境界線上というわけです。

 1929(昭和4)年には品川区側に「大森貝塚」の碑が建ちます。当時の大森区民はこれに負けじと1930年に大森駅近くに「大森貝墟」という碑を建てて本家争いは長らく続きました。

 この論争に決着がついたのは、1984(昭和59)年のことです。この年改めて発掘調査が行われ、当時のモースの記録と同じ発掘の痕跡が見つかりました。また、当時の東京府が大井村字鹿島(現在の品川区大井6丁目)の土地所有者に補償金を支払った記録も発見され、大森貝塚は品川区側ということがわかったのです。

 現在、遺跡のあった周辺には「大森貝塚遺跡庭園」という公園があり、近くには品川区立の品川歴史館(品川区大井)もあります。

 大森貝塚は大森(大田区)という地名を全国区にしたものの、実益は品川区にあり、大田区の「大森貝墟」の碑からは悔しさが滲み出ているような気がします。


【画像】あなたは古代のロマンを感じる? 品川区「大森貝塚遺跡庭園」の様子

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