40年前に消えた幻の南千住「東京スタジアム」、かつての労働者の熱狂を求めて歩く

高度経済成長期、大衆を熱狂させた娯楽のひとつにプロ野球がありました。かつて球場があった荒川区南千住の地を歩くと、庶民とプロ野球との切り離せない関係を見て取ることができる――。法政大学大学院教授の増淵敏之さんは、そう指摘します。


かつて東京を賑わせた、今は無きいくつもの野球場

 さて、日本ではベースボールのことを野球と呼びます。

 野球はアメリカで生まれたスポーツで、1871(明治4)年に来日した米国人ホーレス・ウィルソンが当時の東京開成学校予科で教え、その後日本全国に広まったとされています。

 野球という日本語が生まれたのは、明治時代の中期。第一高等中学校(現・東京大学教養学部)の生徒だった中馬庚(ちゅうまん・かなえ)が、「野外または野原で行う競技」という英語の「baseball」を「野球」と翻訳したのが始めとされています。正岡子規が訳したとする説もありますが、それは子規の本名「升(のぼる)」にちなんだ「野球(のぼーる)」という筆名を用いただけで、ベースボールの意味として用いたわけではありませんでした。

 同じ時期に日本に入ってきた外来スポーツはほかにもありますが、野球だけがほかと異なる点があります。野球以外のほとんどが戦後、呼び名を英語へと変化させていった点です。たとえば蹴球(しゅうきゅう)はサッカー、篭球(ろうきゅう)はバスケットボール、排球(はいきゅう)はバレーボール……というように。卓球はテーブルテニスではなく卓球のままですが、ピンポンという別称が存在します。

 なぜ野球だけが和名を残したのだろうと、筆者は長らく疑問に感じていました。そしてそのヒントは、戦後日本の庶民の暮らし向きと野球との関係のなかにあるのではないかという推論を立てています。

草野球に熱中する少年たちのイメージ(画像:写真AC)

 戦後の日本人にとって、外来スポーツのなかでも野球はもっとも身近な存在でした。

 高度経済成長期に「巨人、大鵬、卵焼き」という流行語が生まれたように、長嶋茂雄・王貞治という2大スターを擁した巨人軍が絶大な人気を誇り、プロ野球そのものもまた庶民の娯楽の中心にありました。プロ選手に憧れる青少年は数多く、毎年夏の「全国高校野球選手権大会」は2019年で第101回、春の「選抜高校野球大会」は第91回を迎えました。スター選手が次々誕生し、野球と国民との距離を近づける役割を担い続けてきました。

 ひとつ、野球に関する豆知識をご紹介します。意外なことに、東京には「東京」という名を冠する野球場が現在たったひとつしかありません。そう、皆さんよくご存じの「東京ドーム」(文京区後楽)です。しかし、かつては東京と付く野球場がほかにいくつも存在していました。

 たとえば、武蔵野市西窪(現・同市緑町)にあった「東京スタディアム」や、杉並区上井草にあった「東京球場」。そして「光の球場」と親しまれた荒川区南千住の「東京スタジアム」です。

ナイターのカクテル光線が、下町を眩しく照らし出したころ


【画像】「東京スタジアム」の記憶を探して……。現在の南千住の風景はこちら

画像ギャラリー

/wp-content/uploads/2019/10/191015_stadium_05-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2019/10/191015_stadium_06-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2019/10/191015_stadium_01-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2019/10/191015_stadium_02-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2019/10/191015_stadium_03-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2019/10/191015_stadium_04-150x150.jpg

New Article

新着記事

Weekly Ranking

ランキング

  • 知る!
    TOKYO
  • お出かけ
  • ライフ
  • オリジナル
    漫画