2020年開業、港区「高輪ゲートウェイ駅」 そもそも「高輪」ってどんな意味?
2019年10月13日
知る!TOKYO2020年春に開業予定の高輪ゲートウェイ駅の「高輪」は、古代の街道だったとフリーライターで古道研究家の荻窪圭さんはいいます。そんな高輪を、荻窪さんに歩いてもらいました。
「高縄手」はどこだ?
高輪大木戸跡から南に向かってしばらく歩くと、「泉岳寺」の交差点があります。ここを渡ると、泉岳寺への参道。

泉岳寺は江戸時代前期の1641年にこの高輪の地に移された曹洞宗の寺院。東海道より少し上ったところ、高輪の斜面を活かした立地にあります。
泉岳寺といえば赤穂事件。吉良上野介を斬りつけた浅野内匠頭長矩と、吉良上野介邸に討ち入りを果たした赤穂浪士の墓地があることで有名です。
細かい事情を抜きにすれば、吉良上野介は江戸城内でいきなり斬りつけられた上に、四十七人の浪人に寄ってたかって殺された哀れな老人なわけで、現代の感覚では吉良に同情せざるを得ないのですが、その辺どうなんでしょう?
ともあれ、高縄手を目指しましょうと思いつつ、泉岳寺門前の坂道をゆるやかに左にカーブしながら上り、坂の上に達すると、そこは「伊皿子」の交差点。高輪の高台に出ました。
この交差点を南北に横切っているのが高縄手、つまり、高台の尾根上を真っ直ぐに走る縄手道なのです。
その名は「二本榎通り」ですが、実はここ、平安時代から中世の「古代東海道」だったといわれてます。古い街道は高台の尾根筋に多いことが知られています。
谷筋の低いところは水害に遭いやすく安定した道を維持しづらい、敵に高所から狙われやすいというデメリットがあり、尾根筋には遅くまで明るく月明かりも頼りになるというメリットがありますから、電気も自動車もアスファルト舗装もない時代は尾根筋を歩きたくなるでしょう。
大石内蔵助が切腹した場所も
そしてこの二本榎通りは、品川駅の西側あたりから三田まで、きれいに高台の尾根筋を貫いている、まさに「高縄手」なのです。これが高輪の語源だと私(荻窪圭。フリーライター、古道研究家)は思っています。

平安時代から続く道筋がここにあるんだなと思うとちょっと感慨深いですよね。
ちなみに伊皿子交差点から二本榎通りを南西に向かうと、右手に広大な細川家下屋敷がありました。
その一部は高輪皇族邸(旧高松宮邸)で、上皇上皇后両陛下の仮住まいとして仙洞仮御所として使われる予定です。
細川下屋敷跡の残りの多くは現在都営高輪一丁目アパートとなっています。
細川家下屋敷は赤穂浪士のうち大石内蔵助等17人が預けられ、切腹をした場所。今でも高輪一丁目アパートの奥にその跡が史跡として残されています。忠臣蔵好きの方はぜひ泉岳寺とともに訪問するとよいでしょう。
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