ものづくりの街「蒲田」が大きな変貌を遂げているワケ

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ものづくりの街「蒲田」が大きな変貌を遂げているワケ

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昼間たかし

ルポライター、著作家

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製造業が盛んだった蒲田は、今ではその姿を大きく変えています。いったいなぜでしょうか。ルポライターで著作家の昼間たかしさんが解説します。

町工場の集積地だった蒲田

 東京都内で、この10年あまりに大田区の蒲田ほどイメージの変わった街はありません。

蒲田駅西口の様子(画像:(C)Google)



 もともと日本の製造業を支える町工場の集積地として栄えた蒲田周辺。今も職人技を売りにする工場は数えきれません。しかし製造業が海外へ移転するにつれ、工場の数も減りつつあります。

「昔は夕方になれば出前の自転車が行き交っていたし、日曜日は遊びに出る工員でいっぱいだったなあ……」

 今も工場を営む工場主に昭和30年代の風景を尋ねると、そういって遠い目をされたことがあります。一仕事を終えて、飲む打つ買うを楽しむ作業服姿の男性たち。かつての蒲田の風景は今は見かけません。21世紀になったころまで残っていたキャバレーを初めとする色街も完全に姿を消しました。

東京工科大学・蒲田キャンパス誕生で若者増加

 それに変わって増えてきたのが、羽田空港を利用する外国人観光客、都心への交通が便利だということで移住してきたファミリー層、そして学生や若者です。

蒲田駅周辺の地図。赤線が「工学院通り商店会」(画像:(C)Google)

 そのような蒲田で、若者が集まる通りといえば「工学院通り商店会」でしょう。ここはもともと「有楽会」と呼ばれていたのですが、通りを抜けた先にある「日本電子工学院」にちなんで、「電子工学院通り会」と名称を変更。1976(昭和51)年には、新たに「日本工学院専門学校」のちに「蒲田工学院通り会」として現在に至っています(商店街の看板には「工学院通り会」と書かれています)。

 この学校は長らくテレビの技術者を養成する専門学校として知れており、現在までに優れた技術者を輩出しています。さらに、2010(平成22)年には同じ学校法人が運営する東京工科大学の蒲田キャンパスが竣工したことで、より多くの若者が通学するようになりました。

安くお腹が満たせる店が並んでる商店街

 今ではどこの学生街も店が入れ替わりオシャレなカフェが増えていますが、この商店街はなぜか腹ペコな学生向けの店が多く、昔ながらの学生街の雰囲気がいっぱいです。老舗が多いワケではないのに、なぜでしょうか。しかし安くお腹が満たせる店が並んでるだけで、なぜか幸せな気分が涌いてきます。

日本工学院専門学校と東京工科大学・蒲田キャンパスの外観(画像:(C)Google)



 筆者が少し前にこの当たりを探索したとき、大学の喫煙所でタバコを吸っていたところ、隣にいた学生が「この大学楽しいわ~。地元の大学に行かなくて良かったわ~」と友達と会話していたのが、印象に残っています。

 なぜ楽しいのでしょうか。

 それは若者が欲しがる情報や、なにかを始めたいときにすぐに始められるバックグラウンドが蒲田には一通り揃っているからです。

 駅ビルに大型書店も入っていますし、同時に尖った趣味の店も多いのです。オタク向けのショップとして知られるアニメイトとらしんばん、メロンブックスの3店舗がありますし、マニアックなオタク向けショップも多数。アニメファンが一般化している昨今、蒲田では、わざわざ秋葉原に行かなくても需要が賄えるのです。

 そして、そのような店で「あ、自分もマンガ描きたい」とか「コスプレしてみようか」などと思っても、すぐできるのが蒲田です。

ユザワヤ蒲田店の外観(画像:(C)Google)



 それは、蒲田が都内各所に手芸商品やDIY用品を揃えるユザワヤ(大田区西蒲田)の本拠地だからです。主に手芸用品の店として知られるユザワヤですが本店は規模が違います。画材はマンガだろうが油絵だろうが書道だろうが、すぐに始められるレベル。プラモデルも売ってます。

 また最近は時代の流れをキャッチしてか、店の一部がコスプレ衣装のためのコーナーになっています。またいざ蒲田で物足りないとなっても、オタクグッズの揃う秋葉原や繊維の問屋が並ぶ日暮里に京浜東北線で一本なのです。

 いかがでしょう。町工場の時代から人の姿は変わっても、夢見る若者の熱気が溢れるのが蒲田の本来の姿。けっして、おじさんが集う街ではないということをわかって欲しいです。

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