日本庭園の技法を取り入れた隅田川唯一の水上公園「中の島」とは何か?
2019年10月7日
お出かけ東京湾の奥座敷に佇む、小さなオアシス・中の島について、都市探検家・軍艦島伝道師の黒沢永紀さんが解説します。
元々は中継地点としての人工島
派川にある中洲の一部を人工島にして中継地点とし、両側に木橋を架けての通水計画。この橋が現在もその名が残る「相生(あいおい)橋」で、距離が短かい越中島側の「相生小橋」と距離が長い月島側の「相生大橋」が竣工したのは1903(明治36)年のことでした。

ちなみに相生橋の名称の由来は、ひとつ上流にある永代橋と相対する関係にあるからとか、大小の橋が相生の関係だからとか、中の島から二方向に生え出ることからとか、ふたつの橋を相生の松になぞらえたことからなど諸説紛紛で、どれが本当かわかりません。
相生橋が竣工して間もない明治末期の写真に写る中ノ島を見ると、コンクリートの人工地盤を階段状に2段積み重ねたような姿をしているのが見てとれます。おそらく今よりはるかに小さかったのではないでしょうか。
大正に入って、都電開通のために橋幅が拡張されるものの、関東大震災で炎上した船が橋に接触し、木造だった相生橋はあえなく焼失してしまいます。
その後相生橋は、1926(大正15)年に鉄鋼橋として復活。関東大震災の後の復興事業の一つである橋梁復興事業の中では、一番初めに完成した橋でした。
潮入りを取り入れた隅田川唯一の水上公園へ
橋が完成してほどなく、中継地点だった中の島を拡張して水上公園にする計画が持ち上がり、1927(昭和2)年に完成したのが、その姿を今に伝える中の島公園です。
中の島公園の最大の特徴は、「感潮池」と名付けられた、いわゆる「潮入り」を取り入れているところです。潮入とは、池などに海水を引き込み、池の潮位が変わることで風景に変化を作り出す日本古来の庭園の技法。

浜離宮の潮入池は特に有名で、それ以外にも中の島と同じ江東区の清澄庭園の池などは、かつて潮入りの池でした。
完成当初は隅田川で唯一の水上公園とあって訪れる人も多く、大いに賑わったといいます。昭和の中頃には、隅田川の水質汚濁で閉鎖された時期もあったようですが、その後の隅田川再生活動で川が綺麗になると、公園も整備し直され、1980(昭和55)年に再び開園しました。
なお、この復活整備の時に小橋が完全に埋め立てられ、小橋側が地続きになってしまったので、現在の相生橋はかつて大橋があった位置にかかる橋だけとなっています。
また、この付近は月夜の名所として知られていたので、その眺望を損なわないようにと、当初から欄干の低いガーダー橋でしたが、湾岸地区の交通量の増加に伴い、1999(平成11)年に改修されて、現在のトラス橋となりました。
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