約100年前に勃発、村民の存亡をかけた「玉川上水盗水作戦」とは何か?

住宅が密集する幡ヶ谷エリアに約100年前、水を巡る知られざる戦いがありました。そのエピソードについて、都市探検家・軍艦島伝道師の黒沢永紀さんが解説します。


幡ヶ谷分水の現在

 現在、甲州街道を逆流した逆川は、高速道路や環七のアンダーパスなどの整備の結果、跡形もありません。また、上水から通水した弁天池も、今ではなんの痕跡もなく、学習塾の入居した小規模なビルや民家があるばかりです。

 ただ、甲州街道から北の、笹塚支流へつなげた流路はいまでも路地として残り、渋谷区と杉並区の区界の役割も果たしています。また、笹塚支流への合流点付近になると、今でも流路にコンクリートの蓋をしただけの区間も、かろうじて残っています。

氷川神社に摂社された厳島神社のお社(画像:黒沢永紀)




 また前述の氷川神社は、現在も幡ヶ谷地区の守り神としてしっかりと存続し、境内のいくつかの摂社の一つに、幡ヶ谷村の命運を担った弁天さまを祀る厳島神社もあります。鳥よけの網がかけられ、埃をかぶってなかば廃墟状態の小さな摂社ですが、確かに厳島神社の名称は読み取れます。

『幡ヶ谷郷土誌』によると、この弁天さまは自然石をほぼそのまま祀ったようなもので、神社の神主さんの話だと、今でも小さな祠の中に祀られているとのこと。しかし、扉の隙間から失礼して中をのぞかせていただくと、祠の中には弁天石はもちろん、何もありません。果たして、幡ヶ谷村の村民を救った弁天さまは、どこへ行ってしまったのでしょうか。

 住宅やマンションが密集する現在の幡ヶ谷エリアに、かつて田園風景が広がっていたとはとても想像できません。しかし、つい100年くらい前に、水を巡る知られざる戦いがあったことを、この小さな石垣は静かに物語っていました。東京には、あらゆるところにエピソードがあることを、改めて実感させられます。


【写真】懐かしい、そしてなぜか落ち着く……都内にある路地裏の風景(13枚)

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