城東地域の副都心、進化する「錦糸町」の歴史をひも解く

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城東地域の副都心、進化する「錦糸町」の歴史をひも解く

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鳴海侑

まち探訪家

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墨田区の南部に位置する錦糸町は近年開発が進み、駅は東京・城東地域の一大ターミナルとして知られています。そんな錦糸町のこれまでを、まち探訪家の鳴海侑さんが解説します。

南側に大型商業施設、西側に歓楽街

 山手線の東側にあり、東京メトロ半蔵門線とJR総武線、下町を走るバス路線が集まるターミナルである錦糸町。東京の副都心のひとつでもあり、今後発展も見込まれる場所でもあります。

錦糸町駅南口の様子(画像:写真AC)



 まず、錦糸町駅周辺の様子を見てみましょう。錦糸町は南側に大型商業施設が多く、駅ビル「テルミナ」をはじめ、「丸井錦糸町店」「楽天地ビル」(パルコが入居しているビル)があります。そして駅前広場から西側は歓楽街になっており、夜になると多くの人でにぎわいます。

 駅の北側へ向かうと駅と直結してテルミナの分館があり、駅前のバス・タクシーターミナルを挟むように商業施設「アルカキット錦糸町」が、駅北東にある錦糸公園北側「オリナス」の大きなタワーが2つあり、低層階は郊外ショッピングモール風の造りをしたショッピングモール「オリナスモール」、高層階はそれぞれオフィス棟とマンション棟となっています。また、駅周辺には中層ビルやマンション、町工場や事業所が混在し、ところ狭しと立ち並んでいる点もこのエリアの特徴です。

工場が多く、娯楽の多いまちとなった

 こうした錦糸町駅周辺のまちの姿はどのようにできてきたのでしょうか。

1932(昭和7)年6月に発行された錦糸町駅周辺の地図。工場の地図記号が多く見られる(画像:時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕)

 錦糸町は1894(明治27)年に総武鉄道の本所停車場として開設されたのをきっかけに大きくまちを発展させました。1915(大正4)年には本所から錦糸町に駅名を改名します。

 1934(昭和9)年に駅南東にあった工場の跡地を東宝が買い取り、1937年に「江東楽天地」という会社を設立した上で江東劇場と本所映画館を中心にした「江東楽天地」が開業しました。

 この計画に大きな役割を果たしたのが、阪急や宝塚歌劇団の創設に深く携わっている小林一三です。小林は錦糸町駅周辺は工場が多く、娯楽への欲求は高いと考えました。そして予想は大当たりし、江東楽天地は大いににぎわいます。

駅ビルは1972年、テルミナに改名

 江東楽天地は第二次世界大戦後に事業拡大をはじめます。劇場を増設し、パチンコビル、場外馬券発売所、子ども遊園地、ロープウェイ、温泉といったさまざまな娯楽施設を敷地内に作りました。

現在の錦糸町駅周辺の地図(画像:(C)Google)



 続いて江東楽天地は錦糸町駅の駅ビルに出資します。これは民間が国鉄の駅ビル建設の費用を一部負担する代わりに、新しい駅ビルにテナント出店することができる「民衆駅」という制度を活用したものです。そして1962(昭和38)年に「駅ビルきんし町」が開業します。さらに1972年には現在のテルミナに改名しました。

 ちなみに現在、江東楽天地はありません。なぜなら再開発によって「楽天地ビル」が作られたためで、1980(昭和55)年から1986年にかけて2期にわたって再開発が行われました。

そごうG破たんで「アルカキット錦糸町」誕生

 このあと、駅北側の再開発が進みます。そもそも北口改札は1978(昭和53)年の設置で、開発が南側中心になっていたのは必然でした。この北口改札の設置は国鉄の貨物ターミナル跡地と都電錦糸堀車庫跡地などからなる4haの再開発計画が持ち上がったことがきっかけで、この再開発が北口の姿を大きく変えることになります。

 1983(昭和58)年に「錦糸町駅北側用地活用検討委員会」が立ち上がると、住宅・文化施設・商業ビル・バスターミナルからなる再開発を計画します。1988年にはそごうと東武ホテルの出店が決まり、その後は比較的順調に再開発が進行。1997(平成9)年に再開発が完成し「アルかタワーズ」が生まれます。しかし、2000年にはそごうグループ破たんでそごう錦糸町店は撤退、跡地は2002年に専門店ビル「アルカキット錦糸町」として再出発するという波乱もありました。

錦糸町駅北口に建つ「アルカキット錦糸町」(画像:(C)Google)

 2002(平成14)年から今度は錦糸公園北側にあった精工舎工場跡地を再開発する工事が始まり、2006年に商業施設、住宅棟、オフィス棟からなる「オリナス」が完成します。

 さらに、2003年に営団半蔵門線(2004年から、東京メトロ半蔵門線)が水天宮前駅~押上駅を開業。これまで弱かった南北の交通が強化され、錦糸町の拠点性が強化されました。実際に半蔵門線開業前と2017年を比較すると、JR錦糸町駅の乗車人員は約2万人(25%)の増加となっています。

鉄道新路線の建設計画も

 また、錦糸町の特徴としては都営バスの存在も大きいことも挙げられます。20系統近くが発着し、そのなかには利益額の大きい系統系統も複数発着しています。

都営バス・東22系統のルート(画像:(C)NAVITIME JAPAN、(C)ゼンリン)



 中でも東京メトロ東西線の東陽町駅との間を結び、一部は日本橋を経由して東京駅丸ノ内口まで行く「東22」系統は都営バスの中で利益額1位で、錦糸町駅から東陽町駅の間でこの系統に乗るといつも混雑しています。

 実際にこの2駅の間を結ぶ鉄道新路線の建設計画もあります。

 この新路線計画は東京メトロ有楽町線の豊洲駅から北上し、東京メトロ東西線の東陽町駅を経由して東京メトロ半蔵門線の住吉駅まで至る5.2kmを結ぶものです。住吉駅は錦糸町駅の南側に位置し、完成すれば、1回乗り換えといっても錦糸町駅と東陽町駅の間が鉄道で短時間で結ばれるようになります。

2019年3月「楽天地ビル」にパルコが入居

 錦糸町のある墨田区の南隣の江東区ではこの新路線計画の推進を強く要望しており、また東京都も2019年4月から路線の構造や設備、運行計画など技術的な検討に乗り出しました。早ければ10~20年後に開通する可能性があります。

2019年3月には「楽天地ビル」に入居したパルコ(画像:写真AC)

 こうしたポテンシャルもあってか、2019年3月には「楽天地ビル」にパルコが入居しました。その際、非常に短い準備期間だったにもかかわらず、半年で出店したいというテナントがそろったといいます。

 山手線東側の拠点として成長し、今後もさらなるまちの発展が見込める錦糸町。今後のまちの成長からも目が離せません。

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