宇多田ヒカルの曲を日本語で歌うモンゴルの子どもたちを見たとき、私は本気で運命の赤い糸を信じた

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宇多田ヒカルの曲を日本語で歌うモンゴルの子どもたちを見たとき、私は本気で運命の赤い糸を信じた

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テリー植田

イベントプロデューサー

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本の交換イベントを通じて、モンゴル人の少年と知り合ったというイベントプロデューサーのテリー植田さん。そんなテリーさんが実際にモンゴルを訪れ、彼らとその風土から学んだこととは。

大草原や相撲だけじゃない、モンゴル

 イベントプロデューサーのテリー植田です。今回は、私がモンゴルの首都・ウランバートルに滞在した経験に基づいた「モンゴルから見た東京」「東京から見たモンゴル」について書いてみようと思います。

 滞在中に経験したことは私にとって一生忘れられない出来事ばかりで、「モンゴルに行って良かった幸せ」と「東京にいる幸せ」も同時に感じることができました。

モンゴルの首都・ウランバートル市内の様子(画像:写真AC)



 まずモンゴルについて、皆さんはどのようなイメージを持っていますか?

 果てしない大草原やモンゴル相撲、チンギスハーン、羊……あとは、絵本『スーホの白い馬』がありますね。

 成田からウランバートルにあるチンギスハーン国際空港まで、直行便で5時間35分です。実は日本から非常に近く、ベトナムのホーチミンに行くのとほぼ同じ時間。またウランバートル市内から少し離れると大草原が延々と広がる、それがモンゴルなのです。

突然届いた一通のメール

 私がモンゴルに行くことになった経緯はこうです。

 今から5年前の2014年5月に突然、モンゴルから1通のメールが届きました。私が発案した本の交換会「ブクブク交換」のサイトから問い合わせがあったのです。

 メール原文は、

「はじめまして、モンゴル国からです。ブクブク交換のサイトを見てとてもうれしい。世界中の人々の間で本を交換したいという内容を見て感謝しています。モンゴルの絵本など本を持っているので、交換したいです。私はモンゴルから協力をしたいので本の交換のやり方を教えてください。ムンクオウールより」

といった内容でした。

モンゴルへの関心、きっかけは開高健

「ブクブク交換」とは、私が発案した本と本を初対面の人で交換するイベントです。ブックとブックを交換するから「ブクブク交換」。コミュニケーションする上で何が敷居が低いかと考え、本だったら誰とでも気軽に、そして幅広い会話ができるだろうと始めた実験的イベントです。

ウランバートルで行った「ブクブク交換」開催を知らせる画像(画像:テリー植田)



 最初は、迷惑メールなのかと思い読んだのですが「これは違うな」とわかり、その日のうちにすぐ返事を書いたのです。最初のメールはモンゴルにきて欲しいと一言も書かれておらず、やりとりの中で自然に心がモンゴルに吸い込まれていったのです。

 本を交換するイベントの運営方法や、8日間滞在の行程アイデア、観光、食事、ゲルやホテルの宿泊施設などを事前にやりとりしました。

 私がモンゴルに興味を持っていたのは、「我が師」と勝手に仰ぐ開高健(たけし)先生が晩年、チンギスハーンの墓を探す一大プロジェクトを進めていたことにあります。加えて、モンゴル人はなぜあんなに日本語が上手いのかと素朴な疑問があったからです。

 そして、モンゴル人エリート学生らが日本の国立大学にたくさん留学しており、ウランバートルのマンション開発に投資している日本人も増えていると耳に挟んでいたことが重なり、モンゴルに行きたい動機となったのです。

空港で初対面 親戚の人のような印象

 モンゴルからのメールに返事するたびにモンゴルに飛ぶ気満々になり、ついには羊肉好きな妻も連れて一緒にチンギスハーン国際空港へ飛び立ちました。

日本とモンゴルの位置関係(画像:(C)Google)

 2014年9月22日。初めて降り立ったモンゴルのチンギスハーン国際空港の出国ゲート前に、メールをくれたムンクオールさんがいました。写真を送ってくれていたので、すぐに彼だと分かりました。

 メールを何度もやりとりし、電話もした彼。もし迎えがなく嘘みたいな旅行だったらどうしようか、と飛行機内の心配にひと安心。ムンクオールさんと会った瞬間、初めて会う人の感覚ではありませんでした。

 そう、久しぶりに葬式か結婚式で会った親戚の人みたいなあの感覚です。赤の他人で、しかも外国人にこんな感覚を味わうのは初めての経験でした。

日本語で『FIRST LOVE』を合唱する生徒たち

 ムンクオールさんにパジェロでホテルまで送ってもらい、チェックイン。その後再びパジェロに乗り込み、「ブクブク交換」のイベント会場であるウランバートル75番中学校へ向かいました。

 ウランバートルに学校はひとつしかないようで、ウランバートル75番中学校は小中学校が合併したような学校でした。運動場では、生徒がボール代わりにペットボトルを蹴ってサッカーをしていたのにまず驚きました。

 そして、会場の体育館のようなホールに入るやいなや、なんと千昌夫の『北国の春』の生演奏が始まり、大合唱の声がホールに響いたのです。もちろん日本語で歌っています。私が驚いているとさらに続けて、宇多田ヒカルの『FIRST LOVE』が歌われたのです。

 100人以上の学生たちが「東京から来た私にサプライズを」と、盛大に歓迎パフォーマンスをしてくれたのです。きっと事前に何度も練習をしたことでしょう。味わったことのない驚きと感動で、笑いながら泣いていたことを今でも覚えています。

本を前に歓迎の踊りを披露してくれた学生たち(画像:テリー植田)



 そして私は、胸がいっぱいになりながら「ブクブク交換」のイベント趣旨を説明しました。

「私は東京で初対面の人同士で本を交換し、コミュニケーションを深めるイベントを行っています。ムンクオールさんからメールを頂き、私が持ってきた日本の本とモンゴルの本を交換するイベントは非常に面白いと思ったので、東京からやって来ました。本はその国を知るための文化の入口です。皆さん、持ってきた本を紹介してくださいね」

 100人の学生らと先生がひとりづつマイクを握って、本の説明をしてくれました。そして本の紹介がし終わった後、ある学生が私に近づいてきて日本語でこう話しかけたのです。

「そろばん大会で1番になって東京に行けたら、テリー先生の家に泊めて下さい」

 小学生が流暢な日本語で、私に懇願してきたのです。東京に行ってみたいという気持ちは「命がけ」そのもの。東京はなんてモンゴル人にリスペクトされているのだろう、と感じました。

モンゴルの魅力をとおしてわかる東京の良さ

 ウランバートルには、漫画を読んで東京に憧れている小さな学生がたくさんいます。相撲の力士になれるような体育会系の学生は、東京の相撲部屋をめざすエリートかもしれません。文化系の学生はそろばんをやり、日本や中国、ロシアの大学を目指します。日本の大学に入り、商社で働くようなエリートもいます。

 その憧れの東京からやって来た初めて見る本を持ってきたおじさんイベントプロデューサーは、彼らに一瞬だけ輝いて見えたのでしょうか。

ウランバートル75番中学にて「ブクブク交換」を開催(画像:テリー植田)



 モンゴルでは5年前の当時、掘っ建て小屋のようなインターネットカフェで「ユーチューブ」を観ていることが「悪」だと言われ、学生は本を読みなさいと教育されていたと聞きました。私が中学生の頃、「ゲームは辞めて、本を読みなさい」と言われたのと同じだなと感じたのです。

 しかし広大な草原で、電気もなく水も十分にないような状況でゲルに住み、羊料理を食べ続けるタフネスぶりから、強靭な相撲レスラーのような精神力が生まれているだろうし、日本人は到底追いつかないハングリー精神がモンゴル人にはあります。

 東京はモンゴルの草原とは違ってあまりに土地が狭いが、電車やバスが時間通りにちゃんとやってきて、日常的に電気、水道、ガスに困ることはありません。

 モンゴルに行って、東京はやはりすごいなと思いましたが、本来の人間に戻ったような気分になれるモンゴルもやはりすごいと思ったのです。

ゲルに突然やってきた野犬の群れ

 というのは、私がウランバートル滞在中に初めて泊まった、暖房のほどよく効いたゲルでの深い睡眠は忘れられないからです。初めての土地でそれも草原の中。それなのに不思議な安心感に包まれ、ストンと落ちるように眠ったのです。

モンゴルのゲルと犬のイメージ(画像:写真AC)

 さらに驚いたことに、10匹くらいの野犬が夜中にゲルの入口に集まってきて吠え始めたのです。何事かと思いそっと外に出てゲルの入口から覗いてみると、野犬たちがお腹を見せるようにみんな寝そべって、遊んで欲しいとアピールしているのです。よしよしとお腹をさすってあげると、喜んで吠えながら遠くにさっと走って行きました。

 鎌倉時代、九州にモンゴル軍が押し寄せた蒙古(もうこ)襲来ならぬ、野犬襲来です。このわっと押し寄せて一瞬にして去っていくのが、やはり遊牧民であるモンゴル人のDNAなのでしょうか。

旅から帰宅後、電話。「また会いましょう」

 モンゴル滞在中、不幸なことにガイド役のムンクオールさんのお父さまが亡くなったのです。そのことをムンクオールさんから聞かされ、「私のガイド仕事はしなくてよいからお父さまのお葬式に専念してください」と言ったら、「一緒にお葬式とお別れ会にきて欲しい」と言われ、参列することになりました。親類や友人らが100人くらいは集まったでしょうか。豪華な食事が出され、献杯をしました。初めてのモンゴルの土地で、まったくもって不思議な体験でした。

本の説明をする校長先生とモンゴル人学生たち(画像:テリー植田)



 いよいよ8日間のモンゴル滞在も終わりです。ホテルをチェックアウトして、観光地巡りで500キロは走ってくれたであろうパジェロで、チンギスハーン国際空港へ送ってもらいました。

 空港のロビーで荷物を受け取り最後のお別れを言おうと、ムンクオールさんの方を振り返ったらもう彼はいなかったのです。あれれと探したが本当にどこにもいない。そのまま別れの挨拶も言えずに、飛行機に乗り込みました。

 無事、成田に着いて東村山の家に戻って来たら電話がかかってきました。「家に着きましたか? またモンゴルで会いましょう」とムンクオールさんは自然な口調で私に言いました。

 この旅で東京の快適さ、モンゴルの居心地の良さを体感することができ、モンゴル人と日本人は不思議な赤い糸でつながっているに違いないと思ったのでした。

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