表参道で知られる「同潤会」 モダンなアパートはすべて取り壊しも、「一般住宅」は都内に残っていた
2019年9月19日
お出かけJR十条駅から北へ10分歩いた場所に、日本の集合住宅地の原点である同潤会の団地が残っています。同潤会という名前で、表参道を思い出す人も多いことでしょう。なぜこの場所に同会の団地があるのでしょうか。都市探検家・軍艦島伝道師の黒沢永紀さんが解説します。
大量に建設された同潤会の普通住宅
「普通住宅」は、もともと前述の仮住宅に対して「本住宅」と名付けられていました。しかし、不良住宅の改良の際に造られたものも本格的な「本住宅」だったので、その紛らわしさを解消するために、新築の賃貸木造住宅を「普通住宅」としたそうです。罹災前の「普通」の住宅での生活へ戻れるように、という思いが込められていたのかもしれません。

普通住宅は点々と建設されたわけではなく、いくつかの地域を選定し、その区画内にまとまって2階建の木造住宅を建てる形で進められました。一般的に鉄筋のアパートが林立する場所を団地と呼びますが、木造住宅でも、計画的に建てられた家屋が密集する場所も団地と呼びます。
都内では赤羽、十条、西荻窪、荏原、大井、砂町、松江、尾久の8か所、横浜は新山下、瀧頭、大岡町、井土ヶ谷の4か所、計12か所のエリアが選定され、宅地整備を含めて実に3500戸もの普通住宅が建てられたというから驚きです。同潤会が建設した鉄筋アパートは16棟なので、普通住宅の建設がいかに重要なポジションにあったかがうかがえます。
震災以前から提唱していた「規格型住宅」を踏襲
12か所のエリアがいずれも少し近郊寄りに位置しているのは、都心部には「鉄筋のアパート、周辺部には木造住宅」という、同潤会が描いた青写真によるものでした。

普通住宅は、低所得者向けに低廉な賃貸住宅を大量に供給することを目的としていました。狭いものでは20平方メートル強、広くても40平方メートル前後で、間取りも6畳一間ないしは3畳+4.5畳から、広くても6畳+4.5畳というように、決してゆとりのある間取りではありません。
中には2階建てで、1軒は1階に収まってますが、もう1軒は玄関と水回りだけが1階にあり、居室はすべて2階という、ちょっと使い勝手の悪そうな構造のものありました。これは「4戸重ね建形式」と呼ばれ、同潤会の評議員でもあった東京帝国大学教授の佐野利器(としかた)が、震災以前から提唱していた「規格型住宅」を踏襲したものです。
このように、建屋自体はときにはオリジナリティがありながらも、なべて言うと「普通」を目指したものでしたが、普通住宅団地の特筆すべき点は、その町づくりにありました。
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