バブルの中心地 「六本木」、当時の情報誌を片手に街を歩いてみた

バブルの代名詞的存在の場所が六本木です。そんな六本木を30年前の情報誌を片手に、ルポライターで著作家の昼間たかしさんが歩きます。


今なお残る「本来の六本木」の風景

 さて、再び坂を登って六本木方向へと戻りましょう。このあたり、バブル時代以前は、繁華街と下町とが入り交じる変わった地域でした。バブル時代には盛んに地上げが行われた結果、下町はほとんど消滅しましたが、それでもなお「本来の六本木」のような風景は残っています。

 先に消滅したのは、時代を象徴した施設のほうでした。外苑東通りに出て、ロアビルの斜め向かいのカドにあったのが「ハンバーガーイン」。

 この店は進駐軍の将校が1950(昭和25)年にオープンしたアメリカンスタイルのハンバーガーショップでした。ジュークボックスも置かれた正統派スタイルの店。土曜は朝の8時まで営業していて、若者の喉や腹を満たしていました。

 飯倉片町方面へ歩くと、柵で覆われ目隠しされた廃駐車場が眼に入ります。ここには、今も語られる「鳥居坂ガーデン」の跡地です。

飯倉片町交差点周辺の様子(画像:(C)Google)

 テラス席の置かれた中庭をぐるっと平屋の建物が囲み、本格フランス料理を味わえる「モンダルジャン」。中華料理の「露天」、それに「ハーゲンダッツ」と名店が揃ったスポットでした。酒を飲んだ後、深夜に食べるアイスクリームのおいしさを教えてくれたのは、ここだという人も多いものです。

 さて、このあたりからちょっと裏通りにはいってみると、急に寂しい風景になります。そんな場所ゆえにか、隠れ家的な店が大人の店もたくさんありました。モダンな雰囲気の「カフェルマン」。アルゼンチンタンゴのライブレストラン「カンデラリア」などなど……。

 繁華街側のディスコが軒を連ねた地域から見ると、崖の下。今でもある階段を上り下りする手間ゆえにか、プレミアムな感じがあってよく利用されたといわれています。

 では階段を昇ってみましょう。かつて、そこは10階建てのフロア、ほぼすべてがディスコの「スクエアビル」を中心としたバブル時代の中心地でした。「キャステル」「ネペンタ」「ギゼ」「キサナドゥ」と、ディスコが栄えていたのです。カリビアンリゾートがコンセプトで、音楽どころか料理もすべてスパイシーなカリブ料理という「ジャバ・ジャイブ」なんて尖ったディスコもありました。

街は移ろいやすい存在


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